« 旧観念からの脱却を下支えする、新しい認識。 | トップページ | 科学はまだ事実の統合律を持っていない »

2013年11月14日 (木)

対象が社会化する。

 日ごろ生徒に教えるときでも、お客さんと話すときでも、今まではその人のためにどんなことができるかを第一に考えてきた。でも相手に対する結果はどちらかだった。適応力が向上して私権獲得に成功し社会を傍観する姿勢を身につけさせてしまった。もしくは、旧観念の観念装置の操作技術が向上して個人主義的な成功者つまり孤独な人にさせてしまった。

 両者のルーツは集団の構成員としての適格化であり、適格化の流れのなかで安全で確実な人付き合い、慎重で我慢強い自己研鑽、危機感を煽るだけの問題意識的社会考察、それらの結果当然発生するストレスの代償方法などを、社会の統合軸として話してきてしまっていた。

 しかし、自分自身の認識と行動は、相手に求めるものとは違っていた。小さいときから社会とは何か、人間とは何かばかり考えていたような気がする。それを考えることで現実課題から逃避していたのかもしれない。単純に逃避していたわけではないが、精力的に時間を費やすことによって、少なくとも代償的な行為であったことは自覚しつつやっていたと思う。

 相手に求めるものと自分の認識・行動にズレが生じてしまった理由を考えないできた。ということもできるのかもしれない。簡単に言えば、そのズレは認識伝播の時差ではなく、自らが集団にも社会にも属さずに乖離していたことに拠る。しかもそんな軽率さでことごとく「長」をやってきてしまった。これでは旧観念の長のままである。加えて、聖典や近代思想にも疑惑を持った、唯我独尊とか誇大妄想等と形容すべき非人間である。

 新しい認識を形成するこのるいネットで、私自身が反省の連続であるが、この活動の中で少しずつみんなと協働することを感じなおしている。そして感じなおす(これを「気づき」の一種と考えていますが)ことは180度の価値観の転換というよりは、不明点の鮮明化であることがわかってきた。

 子供、家庭、企業の概念は、生殖、生産、社会統合という新しい観念によって鮮明になってきた。対象が社会化するという感じである。まさにこの感覚は、私自身が乖離する前の初志に限りなく近いが、完全に新しい。

佐藤英幸

« 旧観念からの脱却を下支えする、新しい認識。 | トップページ | 科学はまだ事実の統合律を持っていない »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 対象が社会化する。:

« 旧観念からの脱却を下支えする、新しい認識。 | トップページ | 科学はまだ事実の統合律を持っていない »

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ