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2013年11月 2日 (土)

本源の可能性を顕在化させる「状況認識」の力

「事実観念」や「構造認識」といった「答え」は確かに武器であり、それが広く共認されれば社会不全は必ず突破しうるのだが、その共認形成の過程は「提示すれば終い」というほど簡単ではない。

「事実観念」も「倒錯観念」も同じ観念であり、どちらが正しいかを観念世界だけで議論しても決着がつきにくい。まして、倒錯観念が支配的であり、私権の古い現実が多々残存している現在に置いては、観念論議では劣勢になることさえある。

そもそも「事実か否か」を決定しているものは何なのか。「論理整合性」はそのひとつであり、明らかに矛盾する観念はそれで白黒がつくが、複雑系である社会を考える時にはそれだけでは力が及ばないことが多い。

思うに「事実」とは観念だけの問題ではなく、存在の全て(本能→共認→観念回路を貫いている意識の全て)が認識した対象の事であり、可能性を求めて探索する中で答えとなる「事実」が新たに獲得されるのではないかと。

本能→共認回路が捉えている、未だ言葉にならない「本源の可能性」を顕在化させることによって、はじめて事実観念が豊かな実感を伴って認識されるのであり、その潜在思念を顕在化させる言葉が共認形成のカギを握っている。

「必要か否か」「当事者か傍観者か」といったこの間のキーワードは、「豊かになった現在、そんなものはもう必要ないじゃないか」「自らが生きる場を自ら作る可能性が開けているじゃないか」といった状況認識であり、これらは観念以前の意識に働きかけているようだ。

このサイトの力は、参加者それぞれが感じ取った可能性を言葉にすることによって、その状況認識が読者の潜在思念を健在化させているところにあると思う。

松尾茂実

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