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2013年8月20日 (火)

もう、認識の罠に陥りそうな…

蘆原さんの「認識の罠」投稿が、さてどちらに向かっていくのかな、と期待(と不安?)をもって、楽しく見守っているのですが、なんかこのままでは「認識の罠」に陥ってしまいそうなので、蘆原さんの本格的投稿が始まる前に少し意見を述べさせてください。

>その思い込み認識の罠を回避する為に、チームワーク(共認機能)を使って、回避しようとする試みだそうです。この思い込み意識への問題意識を持ち、いかに的確に、先読みし、察知して、相手に伝えるか、という発信者側の問題と、受信者側の素直に受入れ、事象を確認し、問題ないかの意識をもつことが、「罠」からの脱出手法の一つだと感じました。<

このmsgを受けて「共認の大切さ」24077(山本さん)、「多くの言葉に耳を傾ける」24093(谷崎さん)と続くのですが…。私は、人類の先端の認識機能である観念機能をフルに働かせるには、その下部機能の共認機能をフルに活動させることが必要であるとか、共認機能をフルに活動させるためには、多くの言葉に耳を傾けることが重要である…、という点について、基本的にはそのとおりだと思います。しかし、それでは「罠」にはまったまま…。

例えば「皆の意見を聞く」原点は、仲間の表情を羅針盤としてきた真猿段階の共認統合の話であり、さらに仲間とは、価値共認した単一集団の成員のことです。彼らの中で、個人の勝手な認識が許されるわけでないし、一つの現象(外圧)に対する個人の認識の揺れは、現在のわれわれが考えるよりもはるかに小さいと思われます。そうでなければ、集団間の同類闘争に負けるでしょうから。

…ところで、彼らの認識は正しいのでしょうか?

こういうテーゼを立てた途端に、言葉に窮します。おそらく、「彼らは彼らなりの認識機能をフルに使って導かれた認識内容なのだから、現在の人類(の価値観念)から見てその時々の認識が正しいか正しくないかは意味がない。」、というようなところに落ち着くのではないでしょうか。これが、いわゆる『パラダイム論』。

つまり、時々の「事実」やそれを巡る「認識」はその集団内におけるパラダイムによって規定される。彼らは外識=内識を、そのパラダイムの中で実現しているのであって、すべての認識もそのパラダイムに可能性収束しているわけです。(科学者集団の事実も同じです)

その認識が正しいかどうかは、そのパラダイムが適応可能性が高いかどうかであり、適応可能性がなくなった時に(パラダイム転換した時に)、認識は「間違っている」ということになる。適応しているというならば、そのパラダイムの中で彼らは正しい認識を作動させているということになります。(科学における、法則も同じです)

だから、「認識の罠」に陥らないために、多数の意見を聞くとか、共認機能を働かすとか、思い込みがよくないとか、ということは個人レベルの認識機能のあり方としては、必要性を認めますが、私は「人類の認識の罠」という次元ではそれらは根本的な解決にならないと思います。

「思い込み」「認識の罠」とは、個々の認識の問題ではなく、可能性のない旧パラダイムのままにとどまっていること、現実否定の欺瞞観念を全面否定できないことこそが、最大の「思い込み」「認識の罠」ではないのでしょうか。

吉国幹雄

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