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2013年8月26日 (月)

進化論としての性の問題

>私は、「個性は大事」とずっと言われてきたにも関わらず「人間皆平等、男女同権、性別では区別してはいけない」と言われ続けてきました。しかし、先日「男女は最大の個性」という言葉を聞き、まさしくそうだと思ったんです.。

「自由」「平等」「個人」など近代思想が作り出した概念は、いたるところで矛盾と欺瞞を生み出していると思います。そして、一見価値観を排除したかのような学術分野にも大きな影響を及ぼしています。

進化論上では、性に関わる様々な問題に、コストや損得というような経済学的なアプローチをする学者が殆どです。市場原理という近代固有の尺度を生物史に当てはめて解釈しようという訳です。

その結果、有性生殖の進化がなぜ起こるのかが、未解決の難題となってしまいました。コストから考えれば、有性生殖が進化する理由がないのです。有性生殖の意義そのものを解決できないならば、始めに設定した経済学的アプローチの誤りや限界である事は自明です。

しかし、殆どの学者がそのように考えられない理由はただ一つです。市場原理を無前提に、かつ普遍的な原理であるかのように考えてしまっていること。その背後の、「自由」「平等」「個人」など概念に何の疑問も感じていないどころか、その価値観を肯定し研究に投影させているからです。

実現論にあるような雌雄分化の史実の中にこそ、「女性だからこそ持っている素晴らしい特性」も見出すことができるのではないでしょうか。

以下、実現論1_2_01より

生物が雌雄に分化したのはかなり古く、生物史の初期段階とも言える藻類の段階である。それ以降、雌雄に分化した系統の生物は著しい進化を遂げて節足動物や脊椎動物を生み出し、更に両生類や哺乳類を生み出した。

しかし、それ以前の、雌雄に分化しなかった系統の生物は、今も無数に存在しているが、その多くは未だにバクテリアの段階に留まっている。これは、雌雄に分化した方がDNAの変異がより多様化するので、環境の変化に対する適応可能性が大きくなり、それ故に急速な進化が可能だったからである。

従って雌雄に分化した生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、必然的に雌いの雄の差異が大きくなってゆく。それは、雌雄が同じ役割のままでいるよりも、オスは闘争・メスは生殖という風に役割分担を進めた方が、より種としての環境適応力が高くなるからである。事実、生物は雌雄の差別化をより推進してゆく方向で進化してきた。

例えば脊椎動物の系統では、魚のメスは卵を産み落とすだけで子育てなどしないが、爬虫類になると卵を温めて孵化させる種が現れ、更に哺乳類になると胎内保育をし、その上かなり長期間子育てに携わる様になる。つまり、進化するにつれてメスの生殖負担がどんどん大きくなってゆき、そのぶん闘争負担は小さくなってゆく。他方のオスは、それにつれて生殖負担が小さくなり、そのぶん闘争負担が大きくなってゆく。

例えば哺乳類は、一般に内雌外雄の集団編成を取っているが、これは外敵には闘争存在たるオスが対応し、その集団(オスたち)に守られて生殖存在たるメスと子供が存在するという、外圧に対する二段編成の構造(=同心円の構造)である。だから、オスが子育てをする哺乳類など、殆どいない。

石野潤

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