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2013年1月26日 (土)

「事実」と「価値判断」

「基礎事実の積上げから規範に至るには、なにが必要か?」という、漠然とした疑問に対し、まずは「ピンとくる」イメージを集めることから始めていくのが一つの方法かと思います。この点でいうと、仙元さんがご紹介くださった、

>中村氏の「価値観」も河合氏の「自分を入り込ませたリアリティー」いずれも言葉は違いますが共通するものを感じます。(15733)


という感覚は非常に共感できます。なかでも、「リアリティー」という単語にとても重要な引力を感じました。
また、

>ある事象を、観点を変えて見ることで、違った事象に見えることはよくあることです。固定的な枠組に捕らわれない観点で、基礎的な事実を捉える必要を感じます。(15319)

という点につきましても、「そもそもそのような柔軟な事実の捉え方が、何故必要とされるのか?」という考え方をすると、結局「リアリティー」という点に収斂していくのではないか、と感じています。ただ、現在「リアリティー」といっている感覚の中身については曖昧なままです。感覚的には、「我々が生きていくことに如何に寄与するか?」といった価値判断基準を持ち出してくるべきなのかな、などと感じています。

ところで、今日この「るいネット」で紹介されている「厳選○サイト」のなかで、大変面白いサイトを見つけました。「生命を考える」というサイトなのですが、その中の一節で、次のようなものがありました。

 科学的認識は価値判断を大きく左右する。
 科学的認識に真実性が求められる基本的理由の一つがここにあるし、
 科学の社会的価値の一つもここにある。

「基礎事実」とは、いわば価値判断を除いた、漂白された事実そのものであるし、一方で「規範」とは、価値判断基準そのものであるように思います。人間が生きていくためには、どうしたって価値判断を行っていく必要があるのに、科学が提供する「客観的事実」だけでは、それは得られない。ところが、「事実」は「価値判断」を大きく左右する。
「事実」と「価値判断」をどう結びつけて考えていけるか、といったあたりが注意点かな、などと感じています。

もし機会がありましたら、「生命を考える」を是非ご覧になってみてください。

三宅秀和

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