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2013年1月28日 (月)

「価値共認」と「事実共認」の問題

事実をめぐる議論は、科学哲学(あるいはパラダイム論)において(そして実現論を考える上でも)重要なテーマですね、近藤さん、三宅さん。特に実現論では、現在そして本源社会において、事実統合・事実認識こそが最大の認識方法であると述べていますから。

>「事実」と「価値判断」をどう結びつけて考えていけるか、といったあたりが注意点かな、などと感じています。<(15973、近藤さん)

事実と価値判断の関連問題を、全て個人の知覚や価値観に帰した事が多くの近代の(科学)哲学の陥った誤謬です。事実も価値判断も共認の産物(共認されなければないものと同じ)であるという視点が極めて重要です。またそう(共認)であるがゆえに、集団や社会パラダイムという視点を抜きにしてはこの問題は語れないと思います。

この科学論の会議室でも「事実」をめぐる議論は何回か行ってきました。もしまだ目を通していらっしゃらなければ最低以下のmsg番号だけでも読んでいただければと思います。重要な点は取り出しましたが、長くなりますので一部だけにしました。できれば全て目を通してください。

もちろん、「価値判断」「客観的事実」について、私は扱うテーマとして賛成ですが、それも踏まえて次の段階の議論をやりたいです。「事実共認と価値共認」に直結する「認識」とは、人類においてどのようになされるのか、どうあるべきか、という認識論を(とても難しいが)私は扱いたいのですが…。

2238「事実追及のスタンス」
>「これは定説である」とか、「これは事実である」と思わせぶりに言うだけで、定説の中身なり事実の中身を展開しようとしないケースがしばしば見受けられます。本来それが本当に事実なのかどうかは、説の中身の提示はもちろんのこと、その実験なり数値計算なりの仮定条件が正しいかどうかに関わってきます。<

2577「 科学と社会の複式構造」 
>専門家集団と社会共同体の複式構造は、強い相関を持ち一つのパラダイムへ収斂します。<

2278「専門家集団と事実」
>事実ですら、観察者の認識や考え方、さらにはそれに影響を与える背景としての社会的な思想によって左右される危険性があります。だから、徹底的に固定観念やイデオロギーを排除する必要があるのは言うまでもありません。<
>事実は専門家固有の理論(定説)によって作られる危険性すらあります。<
>万人が知っている限りの知識に照らし合わせて整合しているという総合的な論理整合性こそが、専門分化された科学の独り善がりの独走を制御するものであると考えられます。<

参考本として、「新しい科学論」(村上陽一郎:講談社)を紹介します。近藤さんが疑問の事実(価値判断を持ったセンスデータ)についての記述もあります。私はクーンよりも村上陽一郎の文章の方が分かりやすいし納得しやすいのですが、しかし村上も共認という軸上での捉え方は、まだ十分できていないと思います

吉国幹雄

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