2019年6月23日 (日)

問うことはすべて、探し求めること【ハイデガー「存在と時間」を読む】

「存在するもの」に対して認識のプロセスは以下のようであると考えるのがハイデガー「存在と時間」である。


★存在の了解→なぜ存在するかの追求→認識の高度化


「存在否定」の考え方発の近代観念と対照的な「肯定と了解」発の考え方は可能性をつくりだせる思考手段なのではないでしょうか…?


リンク引用)

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「存在への問い」という目標を立てたあとで当面問題となるのは、そもそも「問いには何が属するのか」が説明されねばならないことだ、とハイデガーは言う。ところで、「問うことはすべて、探し求めることです。捜し求めることはすべて、探し求められるものから、予め方向を決定されています」。つまり、何かについての問いを立てるということは、それを立てた時点ですでに、問われている当のものから、方向を決定されているというわけである。この場合、問われているものは「存在」なのであるから、当のその「存在」が、問いに対して方向性を指示するということになる。

ハイデガー流のもってまわった言い回しがなされているので、判りにくいところがあるが、簡単に言うとこういうことになる。我々が何かについて問いを発するとき、むやみやたらにそうしているのではなく、問われている当の対象について、すでに何らかの了解をしている。その了解を手がかりにして、問われている当のものの意味を探求し、概念的に明らかにしてゆく、というのが我々の通常のあり方である。それゆえ、ここで問題になっている「存在」ということについても、我々は何らかの了解を持っているのである。それをハイデガーは「存在了解」と名づける。これは「いいかげんな、あいまいな存在了解」というべきものだが、一つの事実として我々が持っているものであって、我々はそれを手がかりにして、存在というものについての高度な認識に向かって進むように出来ているものなのである。

デカルト以来の伝統的な哲学にあっては、ある概念について探求するためには、まずその概念を厳密に基礎付けることが求められたが、そしてその基礎付けは人間の認識作用の場に求められたわけだが、ハイデガーは、そうしたやり方ではなく、存在了解という一つの(漠然とした)事実を手がかりにして探求を出発させようとする。まず事実があって、そこから意味が生まれてくる、というわけである。ハイデガーにとって「存在」とは、まず我々が了解している事実にその足場を持っているのである。

 

 

 

 

花田裕実

2019年6月17日 (月)

なぜ今、世界のビジネスリーダーは東洋思想を学ぶのか

「自主管理への招待」を扱って
近代思想は西洋思想(フランス)の自由・平等・博愛からなっていることに気付いた。
今までは西洋思想が東洋思想より優待されたので近代観念が未だに主思想になっている。
でも今の社会の「近代西洋思想」から「東洋思想」へ転換している。
なぜ現代に入って東洋思想が世の中に通じるようになっているのか?
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リンク
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姜ヨセフ 

2019年6月 3日 (月)

なぜ、松下幸之助は「運が悪い」と答えた人間を不採用にしたのか

リンク より引用

企業の「最大の経営資源」が経営者であるとするならば、成果を実現させる経営者の性格形成を知ることは秘儀を知ることともなりそうです。ただそのあり様を見てみると、あたかも禅宗の僧侶が「悟り」を開くにも似ており「知識」ではなく「知恵」として訪れるもののようです。その意味では、安易に体得はできそうもないものとも言えます。

松下幸之助さんですが、公的にはきらびやか成功の人生ですがその裏面には私的な苦悩の生い立ちがあります。幸之助さんは3男5女の末っ子でした。父親は11歳の時に、母親は18歳の時に亡くし、兄、姉もはやく26歳で長姉も亡くしており、おまけに長男も1歳にも満たずして亡くしています。

松下幸之助さんは、成功の秘訣を聞かれて3つのことをあげています。
1.貧しい家庭に生まれたこと
2.学歴が無いこと(小学校中退)
3.身体が病弱であること

肉親を早くに亡くしていることとも加えて、物事の本質を深く考えることが自分を律する術となって経営者としての人柄が形成されて行ったようです。
そんな松下さんですが「自分は運が良かったから成功した」と言い、社員の採用面談の最後に「あなたは、運がいいですか」と問いかけ「運が悪いです」と答えた人は採用しなかったそうです。そこには、その人の思考スタイルを瞬時に見分けるカラクリがありました。それは、人がどのような「考え方」を持つべきかを教えるものでもあります。少し話が回りくどくなるのですが、お付き合い下さい。人には生まれ持って自尊心があり、傷つきたくないがために失敗した場合にも「自分の能力が劣るのだ」と思いたくはありません。だからといって、能力を高めるための辛い努力もしたがりません。その時に役立つ考え方が「運が悪いから、仕方ないのだ」というものです。
人の心の「摩訶不思議さ」は、自分を防衛するために無意識で「ごまかし」もできるし自分を信じて不可能を可能にもしてしまいます。「運が良い」と思える人は、失敗したり思い通りに行かなかったりした場合でも見方を変えたり更なる努力を傾けてチャレンジすることができます。この人が、成果をもたらすことができて貢献できる人と言えます。

成功する経営者には2つの要件と3つの要素があるようです。2つの要件とは「上昇志向」「自己効用感」であり、3つの要素とは「勇気」「価値観」「素直さ」です。洋の東西を問わず、偉大な経営者はこの2つの要件と3つの要素を自身の生い立ちのなかで「知恵」ある「悟り」でもって獲得しています。

「自己効用感」とは聞きなれない言葉なので、解説します。自己効用感とは、自身が目標を達成する能力があるとする「確信」です。この確信は、不運であると感じていたことや困難であると感じる場面において自身の「知恵」や「勇気」を持って克服した時に生まれるものです。多くの成功する経営者には「自己効用感」を持つに至る経緯があります。


以上。

 

 

 

 

匿名希望

2019年6月 2日 (日)

「諦めると脳はちからがでない」

脳のちからを活かす方法。ブログを紹介します。

みおのバイナリーオプション攻略ブログ2018リンクより引用。
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こんにちは、みおです!
信じる力について思うことがあったので整理しながら書いていきます。

というのも、脳みその働きは、本来の力を発揮できていません。

スポーツの世界には、「敗色濃厚」という言葉があります。

敵に大差をつけられた場合に用いられます。

この考えの真逆をしたら、物事がいい方向に進むと思いませんか?

勝色濃厚!という全肯定主義だと、脳みそも良い働きをします。

これは科学的にも証明されていて、肯定的なイメージを持ったり、実際に口にだしてみたり。

短い前向きな言葉を繰り返すことで、言霊となり、いい方向に向かっていきます。

これをアファメーションといいます。

肯定的な言葉だけを繰り返すんです。大きな企業にも取り入れられてます。

「私は人に悪口を言わない」

↑この文を見ると肯定的な言葉に見えてしまいがちですが、厳密に言うと間違いです。

「悪口」という単語はいい言葉ではありません。

この文の本質を変えずにいい方を変える必要があります。

「私はハッピーなことをいう」

という表現にかえることで、肯定的な言葉だけで構成されています。

 口から出る言葉というものはものすごい力を持っていて、「疲れた」「しんどい」「〜したくない」「具合悪い」

こういった負の言葉を発すると、どんどんそっちの方向へ向かっていきます。

「諦めると脳はちからがでない」
そして、「自分と違うものを脳は拒絶する」

この2つのことを最近気が付きました。

瞑想とかの話もできますが、ちょっと変なやつと思われそうですね(笑)
最近脳科学を勉強しているのでこういう記事になってます、ひかないでw

何かを信仰するとかそういう話ではないです。マイナスなことばかり言ってる人、不幸に見えませんか?

きっと貴方の周りにもいるかもしれませんね。
ネガティブなことばかり発言する人。
もしかするとあなたがそうかもしれません。

ネガティブというか、守備的発想でうまくいくことはありますが、ネガティブの連鎖はいい結果を出し続けることはできません。

 皆さんは「面白法人
カヤック」という企業をご存知でしょうか?
WEB関係のスペシャリスト集団です。たしか最近上場したと思います。

このカヤックという企業には
ブレインストーミング(brainstorming、brainstorm)という習慣があり、
全社員が徹底してます。ブレストってやつです。

1.とにかく否定をしない、相手を肯定する。
2.質は問わない、量を出す

この2つのルールを守り、ミーティングするんです。

 噛み砕いて説明させていただくと、アイディアを出しまくって、肯定し合う。すると、「こうしたらもっとおもしろくなるね」とか、「前にこんな成功事例があるから参考にしたらもっとよくなるね」というようなポジティブな空間になる。

たとえ非現実的な提案であっても、誰も否定しない。
アイディアを出したことを讃え、またアイディアをだすモチベーションが上がる。

質は問わない、量を出すという表現も、ただマシーンのように量産しようという発想ではなく、質の高いものを作ろうとする過程で、量を出し、継続することで質のいいものができるというニュアンス。

私を含め、多くの人は凡人です。凡人ができることは、量を出すこと。
そして継続すること。

そうすると、思想は現実になり、いつの間にか質のいいものが作れるようになるのだと思います。

リンク(株式会社カヤック
公式サイト)

クリエイティブ集団が、毎日クリエイティブし続けることができる要因がそこにあると思います。

 普通、アウトプットすると知識やアイディアは枯渇していきます。
そのために日頃からインプットを忘れてはいけないし、
インプットしたものを昇華させるために、
ワクワクできる空間にいること。
ワクワクできる目標を持つこと。

 彼らのサイトを一度見てみてください(^^)
作りこまれていて、洗練されてます。

 今日の記事何が言いたかったというと、、、

1 言霊のちからは大きい
2 なりたい自分をイメージし、ポジティブな発言を
3 凡人は質よりも量を出すことで天才に勝てる
4 私は無宗教であることw

 貴方はネガティブな発言、してませんか?

 

 

 

 

匿名希望

2019年5月17日 (金)

考えるな、真似しろ。成功者を「模倣」する勇気を持つべき理由

リンクより抜粋します

********

成功している人、うまくいっている人を見ると、羨ましいものです。自分も成功したい、と思います。

そして、「なぜ、あの人は成功しているんだろう?」「なぜ、あの人がやると上手くいくんだろう?」と、その秘訣を見つけようとします。しかし、うんうん考えても、答えは見つかりません。

場合によっては、「あの人は、運が良かったんだ」「自分は資金がないからダメだ」などと結論づけようとしてしまいます。

しかし、これは、質問の仕方がよくありません。

「なぜ~なのか?」と自分に質問して考えようとすると、とにかく論理的な答えを見つけようとします。

自分はこれまで成功しようと努力して、成功していないのですから、自分の頭で「なぜだろう?」と考えても、自分の思考の枠内からは出ないわけですから、なかなか答えは見つかりません。

また、「なぜ~なのか?」と考え出しても、思考のとっかかりがないので、うんうんとうなっているだけなりがちです。

そのような時は、他の5W1Hを使ってみると、考えが進んでいくことがあります。

「あの人は、いつ、何をしているんだろう?」
「あの人は、誰と協力し合っているんだろう?」
「あの人は、仕事の手順はどのようにしているんだろう?」

このように、「理由」ではなく、何をしているか、という観点から考えていくと、なんとなくヒントが見つかることがあります。

そして、仮説を立てることができたら、次は模倣です。マネですね。

自分がこれまで一生懸命考えて、自分のやり方でうまくいかなかったのであれば、上手にやっている人、成功している人を模倣してみることです。それでうまくいけば、そこから自分のアレンジを加えていけばいいと思います。

私は、他人の意見は聞き流す傾向にありますが、他人の行動の模倣は積極的に行います。仕事のやり方しかり、筋トレのやり方しかりです。結局、自分の頭で考えるだけでは、ベストな方法を考えつくことは難しいためです。「自分はたいした能力がない。では、どう補うか?」という出発点から始まっています。

 

 

 

 

久里亜

2019年5月11日 (土)

正義の味方は悪より悪だ、気をつけろ!

社会問題に興味を持つ意識高い系は、正義の味方思考が強い人だ。

こんなふうに思った事はありませんか?

 

実は、よく僕は正義の味方思考の強い人だ、と誤解される事があるんです。

それは、自分が貧困問題をテーマにブログを書いたり、貧困で苦しむ人達を支援するNPO団体にボランティアで参加している事と深く関係しています。

 

気持ちは解るんです。社会の大きな問題である貧困問題に注目しているぐらいだから、すごく正義感が強い人のイメージが浮んでくるのでしょう。

もっと大袈裟に言えば、僕の事を弱きを助け、悪を倒す、正義の人と思っている人すらいるかもしれません。



しかし、当たり前ですが、僕自身は正義の味方ではない。と言うよりも、もっと、はっきり言ってしまえば、正義の味方は大、大、大嫌いなんです。

理由は簡単。自分は悪くないと思っている正義の味方ほど、悪を超える悪を生む可能性があるからなんですよ。

 

このブログが始まった頃から読んでくれている読者の方は意外に思ったかもしれません。でも、真実です。

僕は貧困問題を支援的立場で語ったり、書いたりする時、つねに、正義の味方の視点になっていないか?を自問自答するようにしています。

そして、少しでも正義の味方的な視点で話したり、書いてしまった時は、すぐに訂正し、相手や読者に謝るようにして来ました。

それほど、正義の味方のような言動は危険だと考えているからです。

なぜ、そこまで気をつけているのか、ちょっとご説明しましょう。

 

善人と悪人の違い

親鸞(しんらん)という人をご存じでしょうか?

鎌倉時代の偉いお坊さんです。

 

彼が言った、こんな言葉が残っています。

善人でも救われるんだから、悪人だったら救われて当然だ

 

「はぁ?、意味解らなくない?逆だったら解るけど」と思われた方がいるでしょう。

確かに、悪人でも救われるんだから、善人だったら救われて当然だ、という言葉なら納得出来ます。

しかし、親鸞はあえて、逆にして言葉にしました。

なぜなのか?解りますか?

この言葉に僕が正義の味方を嫌う理由が隠れています。

答えを言いましょう。親鸞は、この世の中に本当の善人はいない、と考えていたんです。

私達はどんなに努力しても、人に迷惑をかけ、他人を傷つけ、つねに悪を引きずりながら暮らしています。

まったく誰にも迷惑をかけず、いっさい悪を行っていない人などいないって事です。

だから、もし誰かが自分を「善人」と考えたとしたなら、それは単に「自分が他人に迷惑な存在であることを、まったく意識していない人」という偽善者じゃないか、と親鸞は考えたんですね。

 

なので、親鸞は自分の悪に気づいた人、自分が他人に迷惑をかけていることを自覚し、つねに、その事に謝罪の気持ちを持ち続けている人のことを『悪人』と呼びました。

つまり、自覚のある人が『悪人』であって、自覚のない人が『善人』。そんなふうに考えると、『悪人』のほうが『善人』よりいいって事になります。

逆にしたのは、そういう論理があったからなんですよ。

 

どうでしょうか?なかなか鋭い考えですよね?

 

犯罪者を容認するのか?

ただ、親鸞のこの言葉を紹介すると、必ずこんなふうに反論して来る人がいます

「じゃあさ、犯罪もしょうがないってこと?、犯罪者を容認するわけ?」

 

いつの世にも、ツッコミをいれたくなる人はいるらしく(笑)、親鸞は、この質問に、ちゃんと答えています。

善人以外にも、自分が『悪人』であることを知っていながら、「仕方がないだろう」、「悪人であって何が悪い」と開き直る人もいるでしょう。

こういう人は、『偽悪者』である、と。

 

これは、要するに、簡単に言うと、犯罪者の事ですね。

一本の直線を描いて、そこに順番に『偽善者(自称善人)』、『悪人』、『偽悪者(犯罪者)』が並んでいる。

偽善者にもならず、偽悪者にもならず、真ん中の中途半端な『悪人』になるということ。

これこそが、親鸞がひろいた仏教の本質なんです。

 

言いたい事がだんだんと解って来たのではないでしょうか?

僕は親鸞のこの言葉を知ってから、『正義の味方』の言動を嫌うようになりました。

なぜなら、『正義の味方』になるためには、『偽善者(自称善人)』にならなければいけないからです。

そんなふうに考えて行くと、ある意味、『正義の味方』は『悪』より『悪』である、と言えるのではないでしょうか?

 

だからこそ、僕らは、つねに自分に問うようにして行きましょう。

自分は、ちゃんと、『悪人』になれているか?、と。

自分もしょせんは『悪人』なのだから、自分の悪をあげつらって、他人のやっていることを一方的に非難することは出来ない。正義の味方は、かっこ悪い。

親鸞は現代人に、こう教えてくれているような気がします。

 

共に、『悪人』になろうではないか?!


↓以下、引用先ブログURLです。
リンク

 

 

 

匿名希望

2019年4月26日 (金)

あらゆる外圧の感取や成果は、自らの判断(能力)だけでは捉えられない。

344314 成果は周りが決める。

成果は、自分で判断するもの。人から何を言われようとそんなの関係ないという個人主義まっしぐらの孤独な人は滅亡人種。

能力が低い人ほど、廻りの評価に対して鈍感は、昔からよく言ったものです。
バカは風邪をひかないという言葉もありますが、人が人として感知する能力が弱いことが主原因である。

肉体の外圧センサーならびに、心でとらえる潜在的なセンサーも低いことが主原因としてある。
センサーが弱い人ほど、廻りを羅針盤にした評価や助言に注意をむけないとけないですね。

 

 

日出・真田十勇士

2019年4月24日 (水)

現実の世界と非現実の世界~どちらも脳が感じた世界~

『第410回 彼岸と此岸(リンク)』から転載します。
彼岸(ひがん)と此岸(しがん)を行き来できるのだろうか?
時に私たちは、現実と非現実の世界を勘違いしている場合がある。
どちらにせよ脳が感じた物語。事実ではない脳が看守した物語。双方とも己にとっては現実?
私の二重構造とはどんな構造だろうか?紐解いてみたい。
--------------------------------------転載
 彼岸(ひがん)と此岸(しがん)という2つの言葉がある。川をはさんで向こう岸が彼岸だが、仏教では彼岸が悟りの世界、対してこちら側、つまり此岸が僕たちの生きている悩み多き世界をさす。

 とつぜん何の話だ?と思われるだろう。これまでマインドフルネスについて何回か書いてきたが、僕自身、わかったようでよくわからない部分もあった。ところが、最近読んだ一冊の本がそのモヤッとした所を一気に解消してくれたのだった。山下良道著『「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える』(集英社)という本である。著者の山下さんは現在、鎌倉一法庵の住職をされている。東京外国語大学を卒業後、すぐに曹洞宗の僧侶となって修行を積んでこられた。

 山下さんの経歴の続きは後述するとして、この本の中で「彼岸と此岸」について興味深い例えが出てくる。あなたが映画を見ているとしよう。映画にのめり込むあまり、今自分が映画館の椅子に座っているのも忘れて、スクリーンの中の世界があたかも現実のごとく感じているとする。多かれ少なかれこういう体験はだれにもあるに違いない。

 さて、映画の中の世界(頭が作り出した架空の世界)と椅子に座っているという現実の世界、どちらが彼岸で、どちらが此岸だと思われるだろうか? 冒頭に書いたように、僕たちが生きている世界が此岸なのだから、椅子に座っている(と自覚している)ほうが此岸だろうと思う人も多いはずだ。

 ところが、山下さんは映画の中の世界がじつは此岸で、椅子に座っているほうが彼岸だと言う。いったいどういうことなのか? 僕たちが日常、現実だと思って生きている世界(此岸)は、頭が作り出した架空の世界、もっと言えば妄想の世界だということである。映画のストーリーから出たとき、初めて人は彼岸に気づく。

 では、どうしたら此岸から彼岸へ渡れるのだろう? 山下さんは曹洞宗の僧侶として18年間、只管打坐(しかんたざ)を続けてこられた。只管打坐とは自分の中に湧き起こってくる思い(thinking)をひたすら捨て去りながら座禅をすること。しかし、思いを捨てつづけても、結局、彼岸に渡れたかどうかは認識できない。

 その後、山下さんはアメリカに派遣され、禅センターにて只管打坐を教える。彼はアメリカでマインドフルネスに出合うのだが、違和感を抱く。なぜなら、マインドフルネスとは「気づくこと」だという。でも、気づくことも「思い」の一種だから、禅僧はその気づきも含めて思いを手放さなければいけないのではないかと。

 曹洞宗も含めて日本の仏教は大乗仏教(北伝仏教)である。一方、マインドフルネスの源は上座部仏教(南伝仏教)。山下さんはマインドフルネスの謎を解くべく上座部仏教の国ミャンマーに渡り、4年間修行される。その結果、マインドフルネスこそが、此岸から彼岸に渡る方法だと確信するのである。

 だとすると、「気づくこと」は「思い」ではないのか? それは捨て去らなくてもいいのか? という先ほどの疑問はどうなったのだろうか?

 山下さんによれば、マインドフルネスの「気づき」とは、只管打坐で手放すべき雑念レベルではないということがまずひとつある。しかも「私」は一人ではなく、二人いるというのである。マインドフルネスは、この「私の二重構造」を実感、認識できるのだと……。詳しくは次回お伝えしたい。

 

 

 

匿名希望

2019年4月21日 (日)

だから成功しない。出来ない理由を自分以外のせいにするダメ人間

だから成功しない。出来ない理由を自分以外のせいにするダメ人間
リンク)より転載

****************************
■外部に理由を求めない

仕事に限らず、人生が好転しない人というのは、困難や障害や出来ない事の理由を外部に求める傾向が多いんですね。
•なんで出来てないの?
•やらなきゃダメだよね?
•頑張るって言ってたじゃん

と指摘すると、

 ●
○○の理由があるので難しい(出来ない)んです

って言うわけですよ。

その理由の部分を解決して、やり遂げるのがあんたの仕事なの。

それは難しいのです(出来ないのです)、と宣言することがあなたの仕事ではないはずなんですよ。出来るかどうかを調査してくれ、という仕事でない限りね。

ところが本人的には、出来ない理由が見つかったんだから、もうここから先は自分の仕事ではない、「だって○○なんだもん」と言い続けたら許してもらえる、認めてもらえる、やった事にしてもらえる、もしかしたら良く見つけたと褒めてもらえると思っているんですね。

ちなみにこれ、我が家の甥っ子もそっくりです。

何をやっても、最初の目論見通り上手く行くことなんてほとんどないどころが、おカネになる、自分の利益になる、評価される、感動するようなことって、ほとんど必ず、

 ●
ウワ!全然話が違うじゃん。どうやってやれって言うわけ?

ってくらい想定外の連続、困難の連続、失敗の連続なんですよ。当たり前ですよね。

こんなことは、成功した人の自伝とか評伝にはほぼ確実に書かれている事であって、今さら言われなくても分かってるよという人が大半だと思います。

では、それが分かった上で、その困難な状況を乗り越えたことがありますか?と訊かれたら、10人中8人は頭を掻くんじゃありませんかね。これこそが切ない現実なんですよね。

でも、だからこそ、これだけは早い段階でクリアしておくべきだと思いますよ。

こんなところで言い訳ばかり考えて逃げ回っていても、オトクなことなんて全くありませんから。

端的に言って出来ない理由は、そうやって逃げ回っているあなたのメンタリティにあるんです。この問題に逃げずに対峙して、絶対に解決させるのだと、意を決したらほとんどのことは成就するんですよ。人生なんてその程度のものなんです。

この経験を出来るだけ若い頃、出来れば20代が終わるまでにしておくべきだと思うんですよね。

 ●
もう30歳になってしまいました…

という人は、逃げまくった経験が積み重なっているはずですから、今目の前に厳然として存在する困難から目を背けずに、全力でぶつかってみることを強くオススメしますよ。

そのためには、

 ●
外部に理由を求めない

ということを自分自身に徹底させなきゃダメですよ。

 

 

 

紀伊谷高那

2019年4月20日 (土)

断捨離とは

リンク

断捨離ってどういう意味?

漢字の意味をたどるとなんとなくその意味が理解できるかもしれません。
 断捨離とは、「必要のないものを断ち、捨てて、執着することから離れる」という意味をあらわす整理法のひとつです。

いらないものを捨てて整理し、シンプルに生きようというような意味で、「ミニマリスト」や「最小限主義」と近い考え方です。

この考え方は、ヨガの考え方である「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」を応用したものだと言われています。だから「断捨離」なんですね。

『断』 : これから入ってくる不要なものを断つ(買わない)
『捨』 : いま持っている必要ないものを捨てる
『離』 : 物へ執着することから離れる(物欲をなくす)

この3つを実践することで、本当に必要なものだけしか持たないシンプルな暮らしができるようになります。

断捨離と断捨利の違い

一般に普及している言葉は『断舎利』ですが、一部では「断捨利」と表記されることがあります。
 漢字は違いますが、基本的な意味は同じです。

意味は同じなのに2つの漢字がある理由は、断捨離の第一人者である「やましたひでこ」さんにあります。

やましたひでこさんと断捨離

断捨離の考え方を広めた第一人者に「やましたひでこさん」という方がいます。
NHKのクローズアップ現代などで取材を受けたことで一躍有名になった方です。

この方が『断捨離』という言葉を商標登録したため、営利目的でこの言葉を使うことができなくなってしましまいた。
よって意味は同じでも、商標権の権利を回避する目的で、一部では「断捨利」を表記されています。

ちなみに、個人的な体験をブログに綴ったりする程度であれば、権利上の問題ありません。
 (以下、やましたさんのサイトからの引用)


◆「断捨離」および「クラターコンサルタント」は、やましたひでこの登録商標です。
 個人的な断捨離体験を語り発信するのは、ご自由です。
ただし、商業目的、営業目的が伴う「断捨離」「クラターコンサルタント」のご使用に際しては、明確厳格な基準を設けており、許可無く使用することはできません。

やましたひでこさんは、断捨離の他にも「クラターコンサルタント」という言葉を商標登録しています。
これは「暮らす」と「ガラクタ」を組み合わせた造語なんだそうです。

その他にも面白い言葉の使い方がいくつかあります。
断捨離をすること → ダンしゃる
断捨離している人のこと → ダンシャリアン

ここまでくるともう、新しい言葉の誕生と言えますね。

まとめ
断捨離は「だんしゃり」と読み、辞書にも載っている流行語
いらないものを捨てて物に対する執着をなくそうという考え方のことを指す

 

 

 

 

濱田健 

«心と体は一体。自主管理・人材育成にも使える「心身一如」の考え

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