2020年6月 3日 (水)

タバコ葉からワクチン探る

Bloombergリンクより引用
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たばこメーカーが命を救うワクチンを供給するとはあり得そうにない話かもしれないが、フィリップ・モリス・インターナショナル(PMI)とブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)はタバコの葉から新型コロナウイルス感染を予防する手段を生み出そうとしている。

BATは1日、植物由来ワクチンの前臨床試験を米バイオテクノロジー子会社ケンタッキー・バイオプロセッシング(KBP)を通じて進めていると発表した。PMIも、部分出資するカナダ部門メディカゴがワクチン候補をヒトに投与する試験を今夏に開始するとしている。

大手たばこメーカーはこの分野に全く縁がないわけではない。KBPは2014年、実用化には至らなかったもののエボラ出血熱治療薬「ZMapp」の開発をマップ・バイオファーマシューティカルと手掛けた。

メディカゴはタバコ科植物から得られるウイルス様粒子(VLP)を活用して植物由来ワクチンを開発。このワクチンはウイルスと類似し、体の免疫システムがウイルスと認識して免疫を作り出す。

KBPは最近、新型コロナの遺伝子配列の一部をクローン化し、免疫誘導物質を開発。それを複製のためにタバコに注入した。BATによると、この手法は通常の方法より短期間でワクチンを製造でき、必要な期間は数カ月から約6週間に短縮される。

同社は現在、臨床試験の実施に向け政府機関との協力を模索している。KBPは営利目的の部門だが、新型コロナワクチンでは利潤を追求しないとしている。(ブルームバーグ Corinne Gretler)

ビルゲイツが支援するバイオベンチャー「モデルナ」が開発する新型のワクチンの概要

ビル・ゲイツ氏が財団の全リソースを新型コロナとの戦いに向けると表明(リンク
その投資先とされているのが、バイオベンチャーの「モデルナ」という企業。米国からの支援も得て、株価も急高騰しているらしい。


リンク
より、その事業内容をピックアップして紹介します。


・企業名のmodernaは、modified+RNAからの造語。メッセンジャーRNA(mRNA)を使ったワクチンの開発を行っている。mRNAワクチンは、まだワクチンとして認められたことがない、新しいタイプのワクチン

・ウイルスの設計データであるRNAを体内に注入。すると体内でウイルスの一部が生成されていく。それに対し、抗体ができるという仕組み

・従来のワクチン開発の方法では10年単位の時間と、生産ラインを作るために巨額の投資が必要だった。mRNAワクチンであれば、大幅に時間を短縮。コロナのワクチンは、既に臨床実験のフェーズに進んでいるが、開発からわずか2か月で臨床実験まで進んでいる。

・癌のワクチンもこの方法で開発中で、臨床実験中のものもある。

・モデルナの研究内容は、学界に発表しない「秘密主義」

・同じ方法で、理論的にはどんなたんぱく質でも体内で製造することができるようになる。

 

小川泰文
 

感染症の歴史と木材

>呼吸器系ウイルスは、空気中が40から60%程度の相対湿度の場合、その湿度以上または以下の場合より、感染者から健康な人への感染がほとんど見受けられない。355295

これが事実ならば、人々が木材を中心としてきた生活が、ウィルス拡大を抑えてきたということも考えられる。

木材には調湿効果がある。
ビニールシート系の仕上げと合板仕上げの部屋で湿度を比較したデータがあり、ビニールシート系の部屋では外気の湿度と同じように室内の湿度も変化しているが、合板仕上げの部屋では湿度が常に50%前後の一定に保たれることが示されている。リンク
合板仕上げの部屋は、40%~60%のウィルス感染がほとんど確認されない湿度に調湿されている。


ウィルスの歴史を調べると、人類を脅かすほどの感染症を引き起こすウィルスは、そのほとんどが1900年以降に流行したものがほとんどである。リンク

【1900年以降の人類を脅かすほどの感染症】
○新型インフルエンザ
1918年:スペインかぜが大流行
1957年:アジアかぜの大流行
1968年:香港かぜの大流行
2009年:新型インフルエンザ(A/H1N1)の大流行

○新興感染症
1981年:エイズ(後天性免疫不全症候群、HIV)
1996年:プリオン病
1997年:高病原性鳥インフルエンザ
2002年:SARS(重症急性呼吸器症候群)

○再興感染症
1935~:結核が日本での死亡原因の首位

この1900年以降に重なるのがRC建築物の台頭である。
日本でも1923年に丸の内ビルディングが建設され、高い耐震性能を有する最先端技術は、住宅や学校などに広く普及していく。
リンク

 

江崎栗子

 

2020年3月24日 (火)

「友(仲間)の為に戦う」というシンプルな組織論が最強の集団をつくる

onepieceのもう一つの引き付ける要因は組織論にある。
>いちばん強いのは「あなたなしでは生きられない」という言葉を交わし合って生きる人です。
というこのシンプルな考え方に現在の若者は強く共感している。
人の役に立ちたい、立つ仕事に就きたい。そういう若者がごく当たり前に多数派だが、その核心はこういう言葉ではないか。
リンクより引用
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彼がそのパフォーマンスを爆発的に開花させるのは例外なく「友のために戦う」ときであるということも理解できます。彼は別に友だちとの間に「相互防衛条約」のようなのを取り結んでおり、その約款に従っているわけではありません。彼に救出され、支援される友だちがルフィーが自分のことを友だちだと思っていることさえ知らないというケースだってあります。この「友のための戦い」は義務でもないし、報償が約束されているわけでもない、ルフィーの側からの無償の贈与なのです。それは別にルフィーが例外的に博愛的な人間だということを意味するのではありません。

彼は「その人のために戦うことのできる友」をつねに自分自身のために求めているのです。友のために戦うことが、彼にとってはこの世で一番楽しいことだからです。「友のために戦う」というこの願いは当然のことながらすべて満たされて「はい、おしまい」ということがありません。なにしろルフィーの友だちは物語の進行に合わせて増え続けているからです。この本質的に空虚な少年(「空虚」というのは「無尽蔵の包容力」ということです。ぜんぜん悪い意味じゃありません)が組織の中核にどんといるからこそ、麦わらの海賊たちは天下無敵の存在となっているのです。

 今の日本の若い人たちが『Onepiece』に熱中する理由の一つは、そこに彼らが現実の家庭や学校や職場ではまず見ることのできない「絶好調で機能している集団」を見るからでしょう。どうしてこの集団ではこんなにものごとがうまくゆくのか。それがただの「絵空事」であれば「ふん、気楽な話だね」で済ませられるでしょう。でも、読者はそこの「絵空事」ではないものを感じています。たしかに『Onepiece』に描かれているのは空想の世界です。でも、枠組みは空想だけれど、そこで起きているさまざまな事件は現実の世界の出来事をある意味ではそのままに映し出している。そこに登場する人々は現実に存在している人々のいささか誇張された写像である。だから、この不思議な物語世界に若い読者たちは独特のリアリティを感じている。そういうことだと思います。

 一番読者が惹きつけられているのは麦わらの海賊団の組織原理でしょう。どうして、この組織はこんなにうまく機能しているのか。それが知りたい。
 そこではたしかに私的なものと公的なもの、個人と集団の歯車が理想的に噛み合っている。でも、それは現実の世界でも局所的部分的には実現可能なもののように思われる。だとすれば、それはどういう組織原理であるのか、どういうふうにこのような集団は形成されうるのか。それを知りたいと願う気持ちが、とりわけ雇用環境がはげしく劣化している日本の若い読者たちの間には、存在するのではないかと僕は思います。そのような組織が「できあい」のものとして提供されるはずはないにしても、もし可能であれば自分たちで「手作り」できなものだろうか。そういう希望が『Onepiece』の読者たちの中にはきっと存在しているのだと思います。

 組織の中で、一人一人のメンバーはどのようなふるまいを通じて集団の一員として認知され、かつそのパフォーマンスは最大化するか。それについて見てみましょう。
メンバーたちはルフィーに誘われて海賊の一味になりますが、リクルートされる最優先の条件は「ルフィーができないことができる人間」であることです。その事情については前の解説にも書いた通り、ルフィー自身がきっぱりこう断言しておりました。

「おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!!! 航海術も持ってねぇし!!! 料理も作れねェし!! ウソもつけねェ!! おれは助けてもらわねェと、生きていけねェ自信がある!!!」(第10巻、90話)
 
 文字に起こすとちょっと感嘆符が多すぎる気もしますけれど、いいたいことはよくわかりますね。「おれは助けてもらわねェと、生きていけねェ自信がある」というのは、ルフィーという人の「強さ」のありようを語ってあまりある名言です。

 哲学者の鷲田清一先生はこういう人間のありようのことを「独立(independence)」でも「依存(dependence)」でもない、「相互依存(inter-dependence)」という言葉で言い表したことがありました。互いに「その人なしでは生きていけない」「あなたの助けが必要だ」という言葉を言い交わす関係のことです。そういうネットワークの中に身を置くものがもっとも強い。これは経験的に確かなことです。
 ふつうは逆に考えます。誰にも依存しない、誰にも頼られない、自立した人間がいちばん強い。そう思っている人がたくさんいます。もしかしたら現代日本の過半はそう信じているかも知れません。でも、違いますよ。いちばん強いのは「あなたなしでは生きられない」という言葉を交わし合って生きる人です。

 

 

 

 

田野健

2020年3月17日 (火)

【図解】外圧捨象(→活力ドン底) と 人類の再生

353556 『外圧捨象(→活力ドン底) と
人類の再生』の図解

  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ┃『自分には関係ない・どうでもいい』という外圧捨象 ┃
  ┃  
(政治、経済、環境・肉体破壊の問題etc.)   ┃
  ┃             ↑             ┃
  ┃    
   個人主義と私権圧力の衰弱    
 ┃
  ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   
               ↓
         ┏━━ 活力ドン底
━━━┓
         ┃           ┃
         ┃ 生存意欲→生きる意欲 ┃
          ┃
闘争本能→闘争意欲  ┃
         ┃ 追求本能→追求意欲  ┃
         ┃  性本能→性情動   ┃
         
┃ 生殖本能→出産意欲  ┃
         ┗━━━━━━━━━━━┛
          ↓↓   ↓↓   
↓↓
本能(脳)は外圧を感知して  ↓↓  潜在思念が感応するままに
作動することを再認識する  ↓↓  問題を直視し追求
         
↓↓   ↓↓    ↓↓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃     
夫々の衰弱構造を知れば(外圧を知れば)       ┃
┃          本能作動→活力再生する          

┃                               ┃
┃活力衰弱の構造(殖産分離→学校教育と観念支配)        ┃
┃生殖衰弱の構造(私権・独占の性→核家族と一対観念)      ┃
┃社会閉塞の構造(私権の終焉⇒観念支配による外圧捨象→思考停止)┃
┃共認統合の構造                        ┃
┃環境破壊の構造(西欧化学の狂気→市場拡大)と自然の摂理     ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
              

             人類の再生
          (実現塾は活力再生の場)

 

 

 

佐藤賢志 

2020年3月 9日 (月)

「わたしは正しい」と確信した瞬間、人は権力争いに足を踏み入れる

岸見一郎氏「哲人」と古賀史健氏「青年」の対話から話が始まります。

以下リンク

〇権力争いから復讐へ

青年 先生は「人は怒りの感情を捏造する」とおっしゃいましたね? 目的論の立場で考えるとそうなるのだ、と。私はいまだにあの言葉が納得できません。
 たとえば、社会に対する怒り、政治に対する怒りなどの場合はどう説明されます? これもまた、自らの主張を押し通すために捏造された感情だといえますか?

哲人 たしかに、社会的な問題に憤りを覚えることはあります。しかしそれは、突発的な感情ではなく、論理に基づく憤りでしょう。私的な怒り(私憤)と、社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤)は種類が違います。私的な怒りは、すぐに冷める。一方の公憤は、長く継続する。私憤の発露としての怒りは、他者を屈服させるための道具にすぎません。

青年 私憤と公憤は違うと?

哲人 まったく違います。公憤は、自身の利害を超えているのですから。

青年 じゃあ、私憤について伺います。いくら先生だって、さしたる理由もなく罵倒されたら腹が立つでしょう?

哲人 立ちません。

青年 嘘をついちゃいけません!

哲人 もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考えるのです。直接的な面罵にかぎらず、相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考えてください。

哲人 たとえば子どもは、いたずらなどによって大人をからかってみせることがあります。多くの場合、それは自分に注目を集めることを目的にしたもので、大人が本気で怒る直前に引っ込められます。しかし、もしもこちらが本気で怒るまでやめないのだとすれば、その目的は「闘うこと」そのものでしょう。

青年 闘って、なにがしたいのです?

哲人 勝ちたいのです。勝つことによって、自らの力を証明したいのです。

〇非を認めることは「負け」じゃない

哲人 人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

青年 正しいと思っただけで? いやいや、なんて誇張ですか!

哲人 わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。

哲人 負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。
 優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです。

青年 勝ち負けにこだわっていると、正しい選択ができなくなるわけですね?

哲人 ええ。眼鏡が曇って目先の勝ち負けしか見えなくなり、道を間違えてしまう。

 

 

 

ビッグチキン

2020年2月26日 (水)

型を守って初めて、個性の領域に入れる

日本の古くからの文化である「能」に携わる3人の会話です。

(リンク
能の舞台は日本という国の特徴を凝縮した世界と言えるかもしれませんね。では、次の世代に私たちは、そこから何を、どうやって守り伝えればよいのでしょうか。


佐伯:能には「型」というものがあって、場面ごとに、こういう型をするということが基本的には決まっています。それを、素人であろうが、玄人であろうが、ひたすらに模倣する。在原行平のことを、どれだけ好きでも、(自分なりの)「好きだ」という動作をしてはいけない。まず、型に従い(そこに心を入れ込み)ます。こざかしい創意工夫というものを、いきなりしてはいけない。非常にストイックなところのある世界なのです。

今の教育に目を向けると、守り従うべきもの、例えば礼儀作法などを教える前に、「オリジナリティを出しなさい」とか「個性を大切に」とか、そういったことを言ってしまう。口幅ったいことを言うようで申し訳ないのですが、私は、それでは単に自分勝手な人間が生まれるだけだと思います。まず、先人の伝えた知恵に対して謙虚に学ぶべきです。守り伝えられたからには、なんらかの意味があるはずなんです。ここで、この型をするから美しい。ほかの型ではなく、これをするからこそ美しい。そうしたものを体得したうえで初めて、創意工夫を重ねる意味があると思うのです。

「学ぶことは真似ること」と、よく言われますが、その精神は能の世界にも伝わっているし、それ以外のジャンルにもあります。個人がゼロから作り上げられる知恵には限界がありますが、先人が積み重ねた知恵に学べば、偉大な蓄積に対し、「そのうえで、さらに何ができるか」という発想に立てる。(能をはじめとする、先人が守り伝えたものを知ることで)人間の限界と可能性を掴み取ることができるのです。

関根祥六氏は、60歳を過ぎてから、「ようやく工夫ができるようになってきた」と言われたそうです。それを聞いた若手の能楽師は、「関根先生が、あの年齢にして、ようやく工夫できると言われるのであれば、私たちは工夫などしてはいけない」と思ったそうです。年齢を重ねるほど、知恵が深くなり、工夫ができるようになっていく。それが素晴らしい。

今、日本のソフトパワーはアニメーションなどに流れていますが、アニメや漫画を作り出している力の源泉は「若さ」なんですね。他方、能は年齢を重ねるほど良くなっていく。能の演目で最も高度と言われるのは、老女を主人公とした内容です。現代社会では高齢化というと、すなわちパワー不足と捉えられがちですが、能の中では、おじいさん、おばあさんが堂々と活躍している。年をとっても、こんなにパワフルだぞ、なんてことを教えてくれる。それも伝え、守っていくべきところでしょうね。

佐藤:教育について、まずは型から、というご意見には全くもって同感です。創意工夫というのは、あくまで基礎を固めたうえのものであること、忘れないでいきたい。

そろそろ時間も迫っているようですので、最後に3つ、メッセージをお伝えしたく思います。

まず、先ほど言及された日本人の良さ、調和能力は、仲間うち(日本人同士)でも認識できていないことが多いんです。例えば皆さんが起業して組織を束ねるとき、或いは、社内でチームを組んで何か事業を始めるとき、この日本人の良さを引き出す役割を担っていただきたい。

それから、国際的に活躍しようとすると、日本人のアイデンティティを説明できなければ相手にしてもらえません。私自身、ユネスコで191の加盟国と対峙するなかで、それを痛感しました。今日のようなセッションもそうですが、さまざまな機会に意識して、(日本人の特質というものを)掘り下げてください。


岡庭:まだ修行を重ねている段の若輩ではありますが、一つ、お伝えできればと思うのは、固定概念を打ち破る心の強さを持っていただきたいということです。

例えば、「大富豪になりたいけれど、なれないと思っている人?」と訊ねられて、「自分のことだ」と思われた人。あなたは、富豪にはなれないと、誰かから断言されたのでしょうか。そうではない。自分自身で決めつけているのですよね。それが固定概念です。

固定概念というのは凄く厄介なものです。例えば壁にぶちあたる。2回か3回、続けてぶちあたると、人間は学習能力がありますので、次のときには、ぶちあたる寸前で止まるようになります。けれど、次のときには、もしかしたら、もう壁はなくなっているかもしれない。なのに、学習能力があるために止まってしまう。でも、どうか、そうはならずに何度でも壁にぶつかってください。それが第1歩です。

失敗や挫折を知らずに、順風満帆に上がっていってしまうというのは恐ろしいことです。なぜなら、失敗を重ねることで自分の「己」を知ることができる。己を知るというのは、現在位置を知ることです。現在位置を知ることができれば目標を立てられる。しかし、現在位置が分からなければスタートすることすらできません。目標が定まったら次は、そこに向かって軌道修正しながら、しかし決して諦めないこと。

そして、「選択」と「決断」の違いを知ってください。「選択」というのは、AかBかと迷って、Aを、ただ選ぶこと。Aがダメだったとき、Bを選びなおせるということです。「決断」というのは、Aと決めた以上、Bは完全に捨て去ること。「Aだけでやっていこう、もう自分にはA(という道)しかない」。そう思って突き進むと、真剣味を帯びます。真剣に進めば失敗しても後悔はない。失敗しても、ただ、己の現在位置を知るだけです。また、そこから進み始めればいい。諦めず、軌道修正して、また目標に向かいましょう。これは、年齢は関係ありません。

 

 

大崎 ( 26 千葉 会社員 )

 

型を守って初めて、個性の領域に入れる

日本の古くからの文化である「能」に携わる3人の会話です。

(リンク
能の舞台は日本という国の特徴を凝縮した世界と言えるかもしれませんね。では、次の世代に私たちは、そこから何を、どうやって守り伝えればよいのでしょうか。


佐伯:能には「型」というものがあって、場面ごとに、こういう型をするということが基本的には決まっています。それを、素人であろうが、玄人であろうが、ひたすらに模倣する。在原行平のことを、どれだけ好きでも、(自分なりの)「好きだ」という動作をしてはいけない。まず、型に従い(そこに心を入れ込み)ます。こざかしい創意工夫というものを、いきなりしてはいけない。非常にストイックなところのある世界なのです。

今の教育に目を向けると、守り従うべきもの、例えば礼儀作法などを教える前に、「オリジナリティを出しなさい」とか「個性を大切に」とか、そういったことを言ってしまう。口幅ったいことを言うようで申し訳ないのですが、私は、それでは単に自分勝手な人間が生まれるだけだと思います。まず、先人の伝えた知恵に対して謙虚に学ぶべきです。守り伝えられたからには、なんらかの意味があるはずなんです。ここで、この型をするから美しい。ほかの型ではなく、これをするからこそ美しい。そうしたものを体得したうえで初めて、創意工夫を重ねる意味があると思うのです。

「学ぶことは真似ること」と、よく言われますが、その精神は能の世界にも伝わっているし、それ以外のジャンルにもあります。個人がゼロから作り上げられる知恵には限界がありますが、先人が積み重ねた知恵に学べば、偉大な蓄積に対し、「そのうえで、さらに何ができるか」という発想に立てる。(能をはじめとする、先人が守り伝えたものを知ることで)人間の限界と可能性を掴み取ることができるのです。

関根祥六氏は、60歳を過ぎてから、「ようやく工夫ができるようになってきた」と言われたそうです。それを聞いた若手の能楽師は、「関根先生が、あの年齢にして、ようやく工夫できると言われるのであれば、私たちは工夫などしてはいけない」と思ったそうです。年齢を重ねるほど、知恵が深くなり、工夫ができるようになっていく。それが素晴らしい。

今、日本のソフトパワーはアニメーションなどに流れていますが、アニメや漫画を作り出している力の源泉は「若さ」なんですね。他方、能は年齢を重ねるほど良くなっていく。能の演目で最も高度と言われるのは、老女を主人公とした内容です。現代社会では高齢化というと、すなわちパワー不足と捉えられがちですが、能の中では、おじいさん、おばあさんが堂々と活躍している。年をとっても、こんなにパワフルだぞ、なんてことを教えてくれる。それも伝え、守っていくべきところでしょうね。

佐藤:教育について、まずは型から、というご意見には全くもって同感です。創意工夫というのは、あくまで基礎を固めたうえのものであること、忘れないでいきたい。

そろそろ時間も迫っているようですので、最後に3つ、メッセージをお伝えしたく思います。

まず、先ほど言及された日本人の良さ、調和能力は、仲間うち(日本人同士)でも認識できていないことが多いんです。例えば皆さんが起業して組織を束ねるとき、或いは、社内でチームを組んで何か事業を始めるとき、この日本人の良さを引き出す役割を担っていただきたい。

それから、国際的に活躍しようとすると、日本人のアイデンティティを説明できなければ相手にしてもらえません。私自身、ユネスコで191の加盟国と対峙するなかで、それを痛感しました。今日のようなセッションもそうですが、さまざまな機会に意識して、(日本人の特質というものを)掘り下げてください。


岡庭:まだ修行を重ねている段の若輩ではありますが、一つ、お伝えできればと思うのは、固定概念を打ち破る心の強さを持っていただきたいということです。

例えば、「大富豪になりたいけれど、なれないと思っている人?」と訊ねられて、「自分のことだ」と思われた人。あなたは、富豪にはなれないと、誰かから断言されたのでしょうか。そうではない。自分自身で決めつけているのですよね。それが固定概念です。

固定概念というのは凄く厄介なものです。例えば壁にぶちあたる。2回か3回、続けてぶちあたると、人間は学習能力がありますので、次のときには、ぶちあたる寸前で止まるようになります。けれど、次のときには、もしかしたら、もう壁はなくなっているかもしれない。なのに、学習能力があるために止まってしまう。でも、どうか、そうはならずに何度でも壁にぶつかってください。それが第1歩です。

失敗や挫折を知らずに、順風満帆に上がっていってしまうというのは恐ろしいことです。なぜなら、失敗を重ねることで自分の「己」を知ることができる。己を知るというのは、現在位置を知ることです。現在位置を知ることができれば目標を立てられる。しかし、現在位置が分からなければスタートすることすらできません。目標が定まったら次は、そこに向かって軌道修正しながら、しかし決して諦めないこと。

そして、「選択」と「決断」の違いを知ってください。「選択」というのは、AかBかと迷って、Aを、ただ選ぶこと。Aがダメだったとき、Bを選びなおせるということです。「決断」というのは、Aと決めた以上、Bは完全に捨て去ること。「Aだけでやっていこう、もう自分にはA(という道)しかない」。そう思って突き進むと、真剣味を帯びます。真剣に進めば失敗しても後悔はない。失敗しても、ただ、己の現在位置を知るだけです。また、そこから進み始めればいい。諦めず、軌道修正して、また目標に向かいましょう。これは、年齢は関係ありません。

 

 

大崎 ( 26 千葉 会社員 )

 

2020年2月22日 (土)

「人間はなぜ全裸だと逮捕されるのか」を真剣に考えてみた

リンクより引用

最近、ふと気になったことがある。

「なんで全裸で出歩いたら逮捕されるんだろう?」

不特定多数の人の目に触れるような場所で公然とわいせつな行為をする罪。
刑法174条に定められ、罰則は6ヵ月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、または拘留、科料とされている。
これは法律で定められている公然わいせつ罪というものだ。

知ってる、うん知ってるよ!!法律で定められてるから逮捕されるんだよね!!

でもさ、例えば

「うーん今日は暑いから服着なくていいや!帽子だけかぶっていこう~♪」

→逮捕

えっなんで?悪意のない全裸でも逮捕されるの?別に人を困らせたいわけじゃないのに?って思った。考えた。

<中略>

①法律で定められてるから
②人には羞恥心があるから
③倫理的にアウトだから
ふむ。なるほど。予想の範囲内だ。
ということで一つ一つ考えてみよう。

※ちなみにこの問題を考えるにあたって、男女は関係ないとします。だって関係ないから。

※あと、危ない目にあうかもだから♀っていうのも勿論理解した上で、シンプルになんでダメなんだろうっていう話なので、そこらへんは無視します。

①法律で定められてるから

まあそりゃそうだよ。だから逮捕されるんです。

では、法律で定められていなかったらセーフなのか?

ってなったら、多分そういう話ではないんだよね。それがこの後に続く倫理的に、とかに繋がってくるんだけど。

ちなみにこの法律は、社会の道徳秩序の維持を目的としていて、「被害者なき犯罪」とも呼ばれているらしい。

そう、だから悪意のある全裸はアウトです。露出狂、お前はダメだ。

全裸で出歩く人=人に見せたい(with悪意)人を不快にさせるっていう割合が多すぎて、法律で定められたのだろうか。

このような法律やルールって、大半の人は守っているのに一部の悪い人たちがいるからこそ、作られているんだなと改めて感じる。

②人には羞恥心があるから

この話をしてたら友達に、「アダムとイブの話は知ってる?」と聞かれた。

もちろん知ってる。
いや詳しくはないけど、あれでしょ、
昔は羞恥心や憎しみ、懐疑の心は持ち合わせていなかったのに、禁断とされていたリンゴを食べて、いきなりそれら全ての感情が芽生えるようになってしまったみたいなやつでしょ。

いやでもそれ伝記じゃん!!!(元も子もない)

そもそも人間に感情や心が備わったとはいえ、意外とあれって生まれてきた環境によるよなと思う。

だってすっぴんで歩くなんて恥ずかしすぎて無理…!って思う人もいれば、すっぴんで出歩くなんて余裕だよ〜って人もいるじゃん。

だから全員が全員、「全裸=恥ずかしいと感じる」かっていうのは、断定ができません。そうなんです。

服着ないとか恥ずかしくないなあ。見せたいわけでもないし、これが普通なだけなんだよなあ。

って考える人がいてもおかしくないはず。

ということで「人には羞恥心があるから」っていう話は終わりです。アダムとイブさんきゅーな。

③倫理的にアウトだから


そう。これがね一番なんだかんだ大きい問題になってくるんじゃないかなと思うの。

さっき羞恥心の話をしてたけど、確かに「自分が全裸」は恥ずかしくなくても、「相手が全裸」は羞恥心や、不快な気持ちが生まれるかもしれない。

でも多分今私たちがそれを不快に思うのって、少なからず向こうの悪意が混じっているのが見えるからだと思うんだよね。

じゃあ例えば、いきなり相手に🖕🏻ってやられたら、不快に思うよね。

でもそれが違う国の子とかで、「ワタシノ国デハ、コレデ数字を数エマス!🖕🏻は1って意味デス!」ってキラキラな目で言われたら、

その瞬間に悪意は0%になって、こっちも不快じゃなくなると思うのよ。

結局は何をやっていようが、向こうの感情の持ち方にもよって、私たちの感情も左右されている。

そう考えると自分の持つ羞恥心や不快な気持ちって、一体どこまで信じられる?

自分はそんなつもりなくて身につけていたり好きな髪型をしているだけなのに、「うわあなんて恥ずかしい見た目…」って言われたら「それは人によってちがーう!」と思わないですか。

倫理とは人間の秩序を保つために存在しているんだけど、結局は生まれ育ってきた環境的に「まあなんかダメらしいからダメ」っていう、本当になんでダメかは考えないで終わる問題が多いのかもしれない。

結論:地球上で人類は0.01%しかいないのに

さてなんか雰囲気的に結論みたいな感じになってきた!けど言うね!まあ結論ってないんだよね!!!

だっていくら考えたところで法律が変わる確率はほぼ0に近いし、まあ私も服着て毎日過ごすよ。みんなも着なね?

人を不快にさせるような全裸はダメだぞ?お姉さんとの約束だ!!

ただ、「うーん確かになんでダメなんだろう」っていう疑問は消えてない。それは譲れない。

どうやらこの世には、理解できないけど大多数の幸せのために理解するべき問題がたくさんあるらしい。

でも大多数の幸せってなんだろう。

この地球上で服を着ているのは人間しかいない。地球上で人類は0.01%しか占めていない。

その0.01%だけが全裸でいることを許されず(一部の国と地域ではセーフかもしれないが)、罪に問われることすらもある。

私たちはそのほかの99.99%の何もかもが服を着ていなくて、それを不快にも思わないのに。

ちなみに私の友達何人かに聞いた結果、真面目に答えてくれた子が2人、その他10人以上は「そんなくだらないこと考えてないでもっとまともなこと考えなさい」と言っていました。

 

 

 

 
匿名希望

2020年1月 6日 (月)

「今あるものに感謝する」

「今の自分はダメだから」
「この仕事は自分には合っていないから」
「今のパートナーは真実ではないから」
「今の家は不十分だから」
「今の収入ではやっていけないから」

私たちが行動する動機の一つに「現状否定・現状不満足」があります。

今が嫌だから、今がダメだから、もっといいものに変えようとする気持ち。自然な気持かもしれません。
でも、それだけだと否定のパターンを生んでしまいます。

以下リンク抜粋

確かに今の自分では不十分かもしれないけれど、それだけだと「今を否定」していることになってしまいます。
だから、頑張って新しい自分に成長したとしても、「今を否定」する癖が出てきて、再び「今の自分ではダメだ」と思うようになります。
だからまた頑張って成長しなければいけません。
どこまで行ってもそれが繰り返されます。

つまり、足るを知ることができなくなってしまうんですね。

例えば、今の収入に不満足で、新たな収入を得ようと副業を始めたとします。でも、今の収入に不満、という気持ちがそのままであれば、新たな収入に対しても、やはり不満に感じてしまうのです。(始めの頃はいいんですけどね)


〇そこにもう一つ「今にありがとう」を付け加えませんか。

今あるものに感謝し、その価値を受け取り、承認し、そして、次のステップへ。
否定のままだと、過去を振り返ってもその出来事を否定的に捉えてしまいます。
せっかく大切な時間を過ごした人・もの・場所なのに、否定的に振り返るのは悲しい。


「今あるものに感謝する」ってよく耳にします。
それは次に向かうためにもとても大切なことだと思うのです。

今の自分を認め、さらに素晴らしい自分になるために成長する・・・
そういう心構えでいたいと思います。

 

 

 

 

ビッグチキン

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