2018年6月21日 (木)

「話せばわかる」だなんて、やっぱり嘘だった

リンクより引用
***
「人間、話せばわかりあえるはずだ」
今年で32歳になる僕だけど、昔から一貫してずっとこう思っていた。
犬猫とは会話が成立しないからわかりあえないという事もあるけれど、人間とは対話が成立する以上、話せばわかるとずっと思ってきた。
だけどTwitterやブログをやっていて思った事はこれと全く間逆であった。
どんなに精密なロジックを組み立てたり、揺るぎない事実を元に会話をしても、過激なフェミニストを始めとする一部の人とは全くといっていいほどには対話が成立しないのである。
~中略~
■ロジックやファクトより、原理原則の方が圧倒的に大切
人間は大なり小なり何らかの宗教の信者である。
ここでいう宗教とは、仏教とかキリスト教のようなものではない。どちらかというと、自分自身の哲学や何らかの信念のようなものを思い浮かべてもらえればわかりやすいかと思う。
私達は何らかの意見を形成する際、この自分自身の哲学や信念のような、自分自身の原理原則に基づいて意見を形成する。
例えばインターネットが善いものであるか悪いものであるのかを考える際、ほとんどの人は一からものを考えない。まず自分自身の原理原則に則った善・悪の判定を下し、その後でそれに整合性があった形で理由を形成する。つまり初めに答えありきなのである。
この事を理解するとインターネットで議論なんて成立しえないという事がよくわかる。
例えば過激なフェミニスト団体がムチャクチャな事をいったとしよう。その発現の矛盾点を他人が指摘しようが、対話なんて絶対に成立しない。
なぜなら、そのムチャクチャな発現は、そのフェミニスト団体の頭の中にある原理原則から導き出された意見であり、その発現を成したフェミニスト団体の頭の中では、既に結論が出された上での答えなのだ。
■脱洗脳はものすごく難しい
苫米地英人さんという方がいる。賛否両論色々ある方ではあるが、初期の頃に書かれた洗脳原論等の著作に関しては抜群に出来がよい。
最近の人はもうあまり知らないかもしれないけど、かつてオウム真理教というちょっと問題のある新興宗教団体が活動していた事がある。
この団体は、地下鉄サリン事件というものを引き起こしたりと、まあ色々大変だったのだけど、苫米地英人さんはオウム真理教に一家総出で入信したオウムシスターズといわれる方の脱洗脳作業に取り組んでいた事があった。
僕はこの脱洗脳をどうやって成し遂げるのかものすごく興味津々に眺めていたのだけど、結論からいってしまうと、苫米地英人さんはなんとオウムシスターズの1人と結婚した。
僕はそれを聞いてその当時ぶったまげたのだけど、洗脳の原理から考えると、これは結構合理的な判断だ。
さっきもいったけど、人間は基本的には自分の原理原則を元に考える。だから他の宗教の信者に、信仰する神を変えろというのは、基本的には相手の宗教を否定する行為に相当する。
当然だけど、自分の信奉する神を攻撃されて「はい。私が間違っていました」と素直にいう人はいない。そんな事をしたら、むしろ逆に相手の信仰心をより高める結果につながってしまう。
だから脱・洗脳というのはものすごく難しい。簡単にいってしまうと、それはキリスト教信者を仏教徒に変えたり、熱心な広島カープファンを巨人ファンに変えるようなものだ。
少し考えてみて欲しい。これ、あなたにできます?
じゃあ苫米地英人さんは何故オウムシスターズのうちの1人を自分の妻にしたのだろうか?
たぶんだけど、自分の家族という共同体に入れる事でしか、真の意味での脱洗脳が施せないという判断があったからなんじゃないかというのが僕の考えだ。
出家してオウム真理教に入信したオウムシスターズからすれば、オウム真理教はもはやある意味家族みたいなものである。
ならばオウム真理教という共同体から、別の共同体に移し変える事さえできれば、脱洗脳を施す事が論理上では可能だ。
苫米地英人さんは色々な事がいわれる方だけど、僕はこの実績に関しては実に凄いと思う。相手の信念を根本から変えたいのなら、自分の家族にするぐらいの度量と責任がないと、やってはならぬのだ。
この問題の類似パターンはブラック企業にもみられる。
実はブラック企業にどっぷりハマってしまった人をそこから抜け出させるのは結構難しい。
少なくとも、そこにおける内在論理が一時的にもハマってしまった人を、そこから抜け出させるのは、オウム真理教から脱入信させるのと等しい難しさがある。
「ブラック企業?そんなの辞めればいいじゃん」
こう口でいうのか簡単なのだ。けど会社という共同体に一度入ってしまうと、それを自分で断行するのは本当に難しい事だ。
本当にその人をブラック企業から抜け出させたいのならば、それこそ自分の配偶者として娶る位の事をやって、脱洗脳を計画しないとうまくいかないのだ。
■責任感もないのにロジックで相手の宗教を攻撃しても恨みしか残らない
ディベートなどでは、より弁が立つ人間優れているとされている。
ディベートというものは、基本的にはロジックとファクトで会話が進む。これらが厳密であるか否かが、強さの基準とも言って良い。
少し前にロジカル・シンキングというものが流行った時、僕もこの考えに随分と惹きつけられ、色んな人を論破しようと躍起になっていた時期があった。
「自分のロジックとファクトの方が強いのだから、みんなをうち倒せばみんなが自分にひれ伏す」
そう思っていたけど、結果は真逆もいいところで、いろんな人を論破した結果、僕は当然のごとく孤立するようになった。
そうなってみて初めて、よくいわれている「野球と政治と宗教の話はするな」という言葉の重みを理解した。
~中略~
相手の原理原則をロジックとかファクトで攻撃する事は、相手に改教を迫るような卑劣な行いなのだ。





別所彦次郎

2018年6月15日 (金)

人間嫌いの原因が判明!他人を見下す心理メカニズムから治し方が分かった

リンク
会社でも学校でも、いつでも「相手」が存在しています。
相手やみんなの存在なしではきっと生きる意味ってないんだろうな~
とすら私は思ってしまいます。
でも、自分以外の存在に対して「嫌い」という感情を持ってしまうこともありますよね。
人間だからしょうがないことだけど、どうせなら「嫌い」よりも「好き」になれた方が何でも楽しいはず!
みんなを好きになるために私も実践してみようと思いました!
__________________________
実は、人間嫌いや他人を見下す心理は、誰もが持っています。そのため「私は人間が大嫌いだ」と自覚している人の方が、ある意味では誠実とも言えます。
ぶっちゃけ、私たちは四六時中、他人を見下しています。
ただ、これは脳の仕組み上、誰もが無自覚にやってしまうものなのです。つまり、この脳の仕組みを知り、自覚さえできれば、脳のメカニズムから脱却でき、他人を見る目を変えることが可能です。
たとえ、あなたが「超」がつくほど人間嫌いでも、人を愛することができ、心を許しあえる仲間が増え、人脈が無限に広がっていくメソッドになりますを
人間の脳には「RAS」という機能があり、あらゆる情報の中から「自分にとって重要な情報だけ」をピックアップし、それ以外の情報を省く。つまり視野に入れない仕組みを持っています。
この現象は「スコトーマ(情報的盲点)」とも言われ、これが他人を見下す心理の根本原因になっています。
ちなみにRAS(スコトーマ)が選ぶ「自分にとって重要な情報」とは何によって決まるのか?それは、あなたの潜在意識に根を張っている「観念」が決めています
観念とは、あなたが過去の経験から思い込んだルールです。
例えば、私たちは幼少の頃から「礼儀正しく、愛想良く生きなさい」と教えられ、また過去の経験からも、礼儀や愛想を重んじた方が得だと信じています。
そのような観念が、相手が持つ膨大な情報の"ほんの一部の情報だけ"をピックアップし「こいつは無愛想だ。嫌いだ。」と裁いているのです。
このようにして、私たちは「あらゆるシチュエーション」で、他人を四六時中裁き、他人を見下す心理に陥っています。
しかし、人間は多面性を持った存在であり、一つの側面だけで判断できるような単純な存在ではありません。それは、ご自身のことを考えても分かるはず。その時々の事情で、あり方が全然違うはずです。
つまり、相手の一側面だけを見て裁くことは、人を人ではなく「モノ」として扱っているのと同じだと認識してください。
人間嫌いとは、あなたが過去に築いてきた「観念(思い込み)」が、脳のRASに影響を与え「他人の嫌いなところ」にフォーカスさせていることが原因だったのです。
人間嫌いを治すには、最終的には「観念の書き換え」が根本的な改善策ですが、これには時間がかかります
しかし安心してください。実は、人間嫌いの観念、そしてそれに影響を受けている脳の仕組み(RAS)から一瞬で脱却できる、とても簡単なテクニックがあります。
実は、他人の一側面(負の側面)だけを見せる「脳の支配(RAS)」から一瞬で脱却し、まるで神の視点から、相手の多面性を見ることができる、非常に簡単なテクニックがあります。
それは、相手のネガティブな側面に脳がフォーカスを始めたら、つまり、RASが発動した瞬間に「どうしたのだろう?」と心の中で唱える。これだけです。
すると「ネガティブな感情の炎上」が弱まり、別の側面を冷静に探し始めている自分を感じるはずです。
人にはそれぞれ「そうなった事情」があるということ。私たちは自身の経験からそれを知っているにも関わらず、脳の仕組みがそれを忘れさせ、私たちを簡単に「独裁者」に仕立てあげます。
あなたの脳は、人、物事、出来事、つまり万物を見た瞬間に「RAS」を作動させます。RASは、あなたにとって「重要」と判断した情報以外、遮断し見せなくします。
そして、RASを動かしているのは、あなたが過去の体験から作りあげた観念。「思い込み」に過ぎません。
この心理メカニズムを知り、日常的に意識することが、人間嫌いや人を見下す思考癖を治すスタートラインになります。
そして「どうしたのだろう?」という、たった一つのマジックワードを使えば「思い込み」から一瞬で抜け出し、人を人として見ることができる。他人が抱える事情や、他人に対する優しさを思い出すことができますリンク
会社でも学校でも、いつでも「相手」が存在しています。
相手やみんなの存在なしではきっと生きる意味ってないんだろうな~
とすら私は思ってしまいます。
でも、自分以外の存在に対して「嫌い」という感情を持ってしまうこともありますよね。
人間だからしょうがないことだけど、どうせなら「嫌い」よりも「好き」になれた方が何でも楽しいはず!
みんなを好きになるために私も実践してみようと思いました!
__________________________
実は、人間嫌いや他人を見下す心理は、誰もが持っています。そのため「私は人間が大嫌いだ」と自覚している人の方が、ある意味では誠実とも言えます。
ぶっちゃけ、私たちは四六時中、他人を見下しています。
ただ、これは脳の仕組み上、誰もが無自覚にやってしまうものなのです。つまり、この脳の仕組みを知り、自覚さえできれば、脳のメカニズムから脱却でき、他人を見る目を変えることが可能です。
たとえ、あなたが「超」がつくほど人間嫌いでも、人を愛することができ、心を許しあえる仲間が増え、人脈が無限に広がっていくメソッドになりますを
人間の脳には「RAS」という機能があり、あらゆる情報の中から「自分にとって重要な情報だけ」をピックアップし、それ以外の情報を省く。つまり視野に入れない仕組みを持っています。
この現象は「スコトーマ(情報的盲点)」とも言われ、これが他人を見下す心理の根本原因になっています。
ちなみにRAS(スコトーマ)が選ぶ「自分にとって重要な情報」とは何によって決まるのか?それは、あなたの潜在意識に根を張っている「観念」が決めています
観念とは、あなたが過去の経験から思い込んだルールです。
例えば、私たちは幼少の頃から「礼儀正しく、愛想良く生きなさい」と教えられ、また過去の経験からも、礼儀や愛想を重んじた方が得だと信じています。
そのような観念が、相手が持つ膨大な情報の"ほんの一部の情報だけ"をピックアップし「こいつは無愛想だ。嫌いだ。」と裁いているのです。
このようにして、私たちは「あらゆるシチュエーション」で、他人を四六時中裁き、他人を見下す心理に陥っています。
しかし、人間は多面性を持った存在であり、一つの側面だけで判断できるような単純な存在ではありません。それは、ご自身のことを考えても分かるはず。その時々の事情で、あり方が全然違うはずです。
つまり、相手の一側面だけを見て裁くことは、人を人ではなく「モノ」として扱っているのと同じだと認識してください。
人間嫌いとは、あなたが過去に築いてきた「観念(思い込み)」が、脳のRASに影響を与え「他人の嫌いなところ」にフォーカスさせていることが原因だったのです。
人間嫌いを治すには、最終的には「観念の書き換え」が根本的な改善策ですが、これには時間がかかります
しかし安心してください。実は、人間嫌いの観念、そしてそれに影響を受けている脳の仕組み(RAS)から一瞬で脱却できる、とても簡単なテクニックがあります。
実は、他人の一側面(負の側面)だけを見せる「脳の支配(RAS)」から一瞬で脱却し、まるで神の視点から、相手の多面性を見ることができる、非常に簡単なテクニックがあります。
それは、相手のネガティブな側面に脳がフォーカスを始めたら、つまり、RASが発動した瞬間に「どうしたのだろう?」と心の中で唱える。これだけです。
すると「ネガティブな感情の炎上」が弱まり、別の側面を冷静に探し始めている自分を感じるはずです。
人にはそれぞれ「そうなった事情」があるということ。私たちは自身の経験からそれを知っているにも関わらず、脳の仕組みがそれを忘れさせ、私たちを簡単に「独裁者」に仕立てあげます。
あなたの脳は、人、物事、出来事、つまり万物を見た瞬間に「RAS」を作動させます。RASは、あなたにとって「重要」と判断した情報以外、遮断し見せなくします。
そして、RASを動かしているのは、あなたが過去の体験から作りあげた観念。「思い込み」に過ぎません。
この心理メカニズムを知り、日常的に意識することが、人間嫌いや人を見下す思考癖を治すスタートラインになります。
そして「どうしたのだろう?」という、たった一つのマジックワードを使えば「思い込み」から一瞬で抜け出し、人を人として見ることができる。他人が抱える事情や、他人に対する優しさを思い出すことができます




匿名希望

不全⇒否定思考ではなく、未在の価値を実現する起点と捉える

自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ(211431)より
 
>否定がいつまでも否定のままで過ぎてゆく時(そうしてすでに百年も過ぎてきた!)、現実には決して存在しない否定世界の内に全ての内的価値が閉じ込められて終うことによって、現実そのものは何ひとつ変革されることなく、その否定の主体とは無関係に動き続ける。そして、否定している自分だけが、ひとり現実から取り残されてゆくのである。
仕事場面で成果に到達するスピードが一向に上がっていかない時、上記の意識構造に陥っていることが多い。
>否定は、未在の何かであるに過ぎず、その背後に潜む価値が実現されるのでなければ否定は(頭の中以外には)はじめから存在しなかったのと同じである。
様々な状況に不全を感じることは多々ある。そこで前述の否定思考に陥ることなく、未在の価値の実現にむけての起点であると考え、「どうする?」を追求し続けることが求められる



清水昌広

2018年6月 4日 (月)

ポジティブ思考がとても危険である理由

人が病気や症状に対峙する場合に何が最も重要なことかということは、実はとてもハッキリしている様です。「現実から目を背けず、そして自分の心からも眼を背けず、それらを直視する」ということ。それは現代社会に生きる私たちにとって、最も単純であり最も難しいことでもあります。
In Deep より抜粋引用 リンク
◆ポジティブ思考がなぜ危険なのか?◆
しかし、現実としてこの世で言われている「ポジティブ思考」は、「現実からも、自分の本心からも目を背けて、イヤなことを考えることを避けているだけではないのか」と思うことがあるのです。カナダのガボーテ・マテという医師が今から 15年くらい前に記した『身体が「ノー」と言うとき ― 抑圧された感情の代価』という本の中の「ネガティブ思考の力」という章から以下の部分をご紹介させていただこうと思います。
+++++++
■ガボール・マテ著『身体が「ノー」と言うとき ― 抑圧された感情の代価』(2003年)より
健康への道をたどる第一歩は、いわゆるポジティブな考え方に固執しないことである。
私は緩和ケアの仕事をしていたときに、がんにかかったことに当惑し、しょんぼりしている人を嫌というほど見てきた。「私はいつもポジティブな気持ちでいたんですよ」と四十代後半のある男性は私に言ったものだ。「悲観的な気持ちになったことは一度もない。なのにどうして、私ががんにかからなければいけないんでしょう」救いがたい楽観主義への薬として、私はネガティブ思考の効用を勧めてきた。(略)「私が本当に役立つと信じているのは”思考”の力です」。
”思考”という言葉に「ポジティブ」という形容詞をつけたとたん、現実のうちの「ネガティブ」だと思われる部分は排除されてしまう。これはポジティブ思考を信じる人のほとんどに見られる現象である。本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。
無理やり楽観主義になろうとするのは、不安に直面しないために不安を封じ込めるひとつの方法である。その種のポジティブ思考は、傷ついた子どもが身につける対処パターンである。それに気づかず、傷ついたまま大人になった人は、子どものころの自己防衛手段のなごりを一生持ち続けることになる。
病気は一対一になったふたつの問題を突きつける。ひとつは、その病気は過去と現在について何を語ろうとしているのかということ。もうひとつはこれから先、何が助けになるのかということである。多くの取り組みは、治療にかかわる一対の問いの後者にだけ目を向け、そもそも何が病気をもたらしたのかをろくに考えようとしない。本や雑誌、テレビやラジオにも、そのような「ポジティブ」思考の勧めは数多く見られる。
しかし、治療のためにはネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。
+++++
◆現実を直視しないようになるポジティブ思考◆
この前後も含めて、この著作には非常に納得できることが書かれてあるのですけれど、「ポジティブ思考」がなぜ良くないかというのは、その多くが、「現実を直視しないようになるから」です。これは現在では、患者本人にも治療者(主に医者)にもどちらにも言えるかと思います。つまり、「原因(自分の心や人間関係、家族関係など)を考え尽くすことはせずに、ただ治しましょう」と。
◆『なぜこのようになったか』を考えない◆
「患者も医者も『どう治しましょうか』ということだけを考えて、『なぜこのようになったか』を考えない」ということです。まあ、現実的に考えて、お医者さんがわざわざ「どうして、あなたはこのように(この病気や症状に)なったか」を考えることはないでしょうから、治療のほうはともかく、「原因」を考えられるのは病気になった本人だけだと思うのです。
◆良いところだけ見て『悪い部分』を考えない◆
ところが、ポジティブ思考は、悪いところを蒸し返さないので、「それをしなくなる」のです。良い部分だけを見て悪い部分を考えないようにしていると、「病気になった自分の中の本質の部分」は決して見えてこないはずです。
◆良いところと悪いところの両方を認識する=現実直視◆
何しろ、すでに「病気」という形でポジティブではないものが噴出しているわけです。それをどうポジティブだけで解決できるというのか。病気になっても「自分に対していつもポジティブに」考えていた人たちの、・生存率・再発率はどうだったかという話も、個人的に調べていたことがあります。自分の病気に対して、「根拠のない前向きさ」をもったり、「いつも明るい態度で周囲に振る舞っていたり」、「根拠のない希望を持っていたり」するようなポジティブな思考だった方々の多くがどのようになったか。
◆現実直視の先にこそ見出される可能性◆
最初のほうに例にあげたサーノ博士は、自分の潜在意識に痛みや症状の原因があるということを医学的メカニズムと共に説明しているのですが、しかし、その原因を自分で探り出す行為は「とても苦しい」ものです。なので、誰でもそれはイヤなのです。自分で考えたくもない「心の奥に仕舞ったままにしておきたい部分」を蒸し返すことは。
しかし、たいていは、その「見たくない自分の心」が病気や症状の原因の一端となっているということには、今では完全にそれを否定できる医学者はいません。




Bannister

2018年6月 3日 (日)

問題を指摘するだけで改善案を出せない専門家、「重箱の隅おじさん」の話

皆の気分を悪くするだけの人なら、知識があっても邪魔なだけです
リンク
----------------------
つい先日、あるwebマーケティング会社の方々から、
「社外の専門家を雇ったのだけど、本当にうんざりした」
という話を聴いた。
 
「なぜ?」とお聞きすると、
「とにかく仕事ができないので、チームの雰囲気を悪くする。」
という。
しかし、当然ながら
「仕事ができない専門家をなぜ雇ったのか?」
というギモンが浮かぶだろう。
 
私はそれを聞いた。すると彼らは、
「いや、知識だけはすっごいあるんですよね。分析ツールとか、統計とか。異常なほど詳しい。本も出したりしている。」
「なるほど。ではなぜ「仕事ができない」と感じたのですか?」
「その人さ、問題を指摘するだけで、全然改善案を出せない専門家なんですよ。」
「そういうことですか。」
「例えば、webサイトを見て、あそこが悪い、ここもダメ、っていう指摘はめちゃめちゃうるさいんですよ。でも、「じゃあどうすれば改善しますか?」と聞くと、何も出てこない。」
「なるほどw」
「しかも、異常に細かい部分にこだわるんです。サイトの全体設計の話をしている時に、ボタンの位置やレポートのフォーマットの話とか、「今そこじゃねーだろ」って、ツッコミたくなるわけですよ。」
 
******
 
そういえば、私も同じような経験をしたことがある。
ある営業業務改善のためのミーティングで、「引き合いの分析」をしていたときのこと。
 
過去数カ月分にわたる、引き合いの一覧表を、まだ若い管理職がグループの皆に配布し、
「受注率を上げたいと思っているのだけど、過去の失注したお客さんに何か傾向はないか」
と訊ねた。
 
すると、一人のベテラン営業マンがすかさず
「ここの漢字がまちがってますね」
「このシート見にくいですよね」
と、表のフォーマットにケチを付け始めた。
 
その管理職は落ち着いて、「何が見にくいですか?」と聞いたが、そのベテランは
「いや、見る人のことを考えたら、もうすこしスッキリさせるでしょ」
というだけ。
管理職は「具体的に何処を直せば良いですか?」と聞くのだが、そこに意見は言わない。
 
その若い管理職は内心はイラッときていたと思うが、表情には出さずに、
「フォーマットは後で直します。失注したお客さんについて気づいたことは……」
と再度皆に聴き直す。
 
しかし、先ほどのベテランは再び、
「あ、このお客さんの担当、別の人ですよ」
と、本筋とは関係のない指摘をする。皆はうんざりしており、場の雰囲気は酷いものになってしまった。
 
******
 
このような人、どの会社にも何人かはいるのではないだろうか。
傾向として、
「40、50代」
「知識だけはあるが、成果につながる本質的な話ができない」
「プライドが高く、人のやっていることに対して指摘は多いが、自分の意見は(批判されたくないので)出さない」
「男性」
という属性があるので、わたしは彼らを「重箱の隅おじさん」と呼ぶ。
もちろん、これはオジサンに限るものではないが、何となくそう言う傾向は見て取れる。
で、その「webマーケティングの専門家の方、どうしたんですか?」
「役に立たないだけでなく、会議のジャマをするんで切っちゃいました。皆の気分を悪くするだけの人なら、知識があっても邪魔ですよね。」




匿名希望

マイナスを指摘するメリットは本当にある?

プラスのことより、マイナスを指摘する方が多い私たち。特に恋人や家族、友達などの親しい間柄になるとその機会も増えるもの。手伝ってもらっても感謝するより「ここ下手だよ」と指摘したり、嬉しいことがあっても「いつまで続くか分からないよ」と不安を煽ったり、「最近太ったね」「機嫌悪いね」と指摘したり…。
つい言いがちですが、こられを言うことでプラスになることは本当にあるのでしょうか?
リンク
******************
言えば変わる?
相手にマイナスを指摘するときに、多くは「相手が変わること」を期待して言うことが多いですよね。指摘すれば変わってくれる―そう思いたいところです。
ところが実際に変わってくれるかといえば、なかなかそうはいきません。「人を変えることはできない」なんてよく言いますが、自分でよっぽど自覚したり、反省しない限り、人間は変わらないもの。親しい間柄なら余計、「流される」ことが増えます。
心を閉じられるケースも
また、相手の性格や状況によっては、心を閉じられてしまうことも。プライドの高い人にマイナスを指摘しても、逆切れされて終わることがほとんど。疲れている中手伝ってくれた相手にマイナスを指摘すれば、「もうやらない!」と相手を怒らせて終わりです。
上記の「最近太ったね」「機嫌悪いね」という言葉もNG。太ったと指摘されてそのときは痩せようと思っても、人に言われたぐらいでするダイエットはすぐ挫折する人がほとんど。単に相手の心を傷付けるだけだったり、余計機嫌を悪くしてしまうことが多いのです。
こう見ると、マイナスを指摘しても、プラスに働くことはほとんどありませんよね。
プラスを指摘すればプラスに働く
ではどう言いかえれば、お互いのプラスになるのでしょうか? マイナスの代わりにプラスを指摘すれば、プラスに働きます。できないことより、できたことを褒めましょう。できたことがなくても、努力や意欲を褒めましょう。相手も満足し、「また頑張ろう」と思えます。
相手の機嫌が悪いとそれを指摘したがる人も多いですが、機嫌が悪いといわれても、機嫌は治りませんよね。それより機嫌の良い時に、「機嫌良いね。私まで楽しいよ」と言いましょう。自分の機嫌が良いことでほかの人も楽しくなるなら、機嫌よく過ごそうと思うものです。
当たり前ですが、マイナスの発言にはマイナスが、プラスの発言にはプラスの効果が表れます。マイナスなことをいいそうになったら、じっくり考えてみてくださいね。




文太

2018年5月30日 (水)

「努力する」「頑張る」という欺瞞

>努力という言葉には、無理して頑張る、我慢して為すというイメージが一緒に含まれています。必要なのは、努力することではなく、没頭できる何かを見つけること。そして追求し続けること。(335177)
「努力する」や「頑張る」という言葉を美徳化し、「できない」言い訳を自ら与えていませんか?努力する、頑張るという言葉に隠れた欺瞞を指摘した記事を紹介します。
以下、頑張り過ぎるという欺瞞より(リンク)
* * * * *
さて、私はどちらか言うと、すぐに手を抜きたがるほうで、手を抜くことによって失敗し、「ああ、あのとき、もっとちゃんとしておけば良かった」という後悔を繰り返すタイプなので、その点、注意する必要があるのですが、私とは反対に、常に無理をして頑張る人がいます。
そんな人たちは、無理をして無理をして頑張って頑張って、頑張り過ぎて、そして、体調を崩したり気力が続かなかったりして、「やっぱり私はダメなんだ」と自分を責め、罪悪感に苛まれています。
一生懸命頑張った結果体調を崩したり気力が続かなかったりしただけなのに、自分を責めるのはおかしなことですが、これが、こういう人たちの失敗のパターンなのです。
つまり、無理をして頑張る人は、無理をして頑張ることによって体調を崩すなどして続かくなり、そのことで「自分はやっぱりダメなんだ」と責める口実を、自分自身に与えているのです。
要するに、続けられないような無理な頑張りをすることによって失敗するというパターンを繰り返しているのです。
こういう人たちは、「自分はいくら頑張っても認めてもらえない」と思い込んでいます。
そのために、無理をして無理をして頑張り過ぎて続けられなくなり、「やっぱり自分はダメなんだ」ということを証明しようとしているのです。
そもそも、人が頑張るのは、自らを成長させるためであって、周囲の人たちに自らの頑張りを認めてもらうためではありません。
そして、頑張るとは、そのとき自分のできることに自分のできる範囲で力を尽くすことを言うのであって、決して無理をすることではありません。
自分のできること以上に無理をしても、決して続けることはできないでしょう。自分のやっていることの矛盾に気づくことができれば、今の生き辛さから抜け出すきっかけを見つけることができるのです。
以上、引用終わり




紺碧空

成長を妨げているのは自分自身

新しい環境はこれまでの自分の悪いところが浮き彫りにさせる。
あるいは何か新しいことに挑戦しようとするとき、壁が立ちふさがる。
その壁はなにか。どう対処するか。
私は自分の意見や考えが合っているのかわからなくて、ほかの人の意見が欲しいとき、訊くのをすごく躊躇してしまう。
それは自分の考えに自信が持てなくて言ったらだめかもしれない、間違っているかもしれない、こう思われるかもしれない、と勝手に思い込んでしまうからだ。あるいは、見栄やプライドが邪魔をして言えなかったりする。
どれも自分観念になっていることが壁になっている。
相手のことを考えているつもりでも、本当は自分が傷つくのが怖くて、評価が気になっていえないだけ。相手のことや組織のことを考えられていないし、逆に組織にとってマイナスなことでしかない。
自分の意見を伝えることや、相手の意見を聞くことで初めて集団として成り立つし、よりよいものが生まれる。組織としてやっていくためには、一人ひとりの意見が重要になるし、その結果いいものが生まれる。
こうした自分観念にとらわれず悪いところを認め、それをさらけ出すことで仲間として結束力が生まれるし、お互いの悪いところを補い合うことで、組織として成り立つのではないかと思う。
自分だけの問題にするのではなくそれをみんなと共有することで解決されるし、あるいはそれから新しい考えが生まれ、可能性がどんどん広がっていくかもしれない。
組織にとって何が必要か。
そう考えながらこれからも日々考えて発信していきたい。




匿名希望

否定を肯定視することが前に進む一歩

自主管理への招待(5)(6)を読んでの気づき
生きている中で否定することは多々出てくる。その中で、その否定をどう捉えるかによって、先に進めるかどうか決まるのだと分かった。
相手のことを思っての否定はとても重要でそれを肯定的に捉え、受け止めてどう行動に還元できるかが大切である。
ここで否定していては一人取り残されるだけである。
それでは何も進まない。
相手の発言に対して反応し、どう前に進もうとするかがポイントであると感じた。
物(自然)から類(人間またはその関係=社会)に対象は変化してきた。
その類(人間またはその関係=社会)を掴んでいくのが類設計であると認識できた。
今まで会社名より自分たちの場は自分たちで作るなどのほうが印象的だったが、会社名の由来を聞くことでより会社への愛着が湧いてきました。
技術をどう使うか、どう相手の欠乏を読み取ってもてる力を発揮できるかその力が今求められている力と感じた。
この力をもち実現していけるよう、認識の錐になるよう相手の反応を受け止め、前に進んでいきます。




匿名希望

2018年5月28日 (月)

不完全な適応態だからこそ進化・成長し続けていける

会社のある部門では、もともと他の部門で力を発揮できていなかったメンバーが多くいたのだが、急激に変化(進化)を遂げて、能力と活力を上昇させていた。
様々な注目要素があるのだが、目を引いたのは「失敗談を皆と話すのが一番楽しい」という姿勢。
“開き直り”と捉えることもできそうだが、もっと深いものがあるように感じたのだが、ふと実現論前史の一節が思い浮かんだ。
>完全なる適応態など存在せず、全ての適応態は外部世界に対する不完全さを孕んでおり、それ故より高い適応を求めて進化を続けてゆくことになる。<実現論1_1_03
どんな適応態であっても、外圧は変化し続けるので、常に不完全適応態である。
つまり失敗≒不完全であることを直視するから、より高い適応を求めて進化し続けていっている。
自分の失敗も他人の失敗も、全てがより高い適応状態へ到達する可能性。
そこには、格好悪いから隠すとか、どうせ無理だと諦める(捨象する)というような、現実逃避は一切介在していない。
外圧適応態である生命体として、適応欠乏を全開にして可能性を探っているのだ。(“開き直り”とは位相が違う)
不完全な適応態であるからこそ、より高い適応を求めて進化を続けていくことができる。
この普遍的な事実構造を体得することで、逆境をも楽しんで、人間として成長し続けていけるのだと思う。




稲依小石丸

«自分で限界を決めてない? 常にチャレンジし続けるための「思考の枠」の広げ方

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