2018年1月19日 (金)

『宗教は文化ではない』

リンク
「宗教は文化では無い」という見解が必要になってきています。
宗教は「人間が生きてその系譜に感謝を捧げること」が基本であったはず。
ハダム・シャリーム:神殿の丘、そこに分断されている「壁」。
ユダヤ・イスラム・カソリックという三つの宗教は、
聖地の主権、礼拝権がこれら宗教の利害や経済関係となり、
宗教対立が民族対立を生んでいます。
宗教は宗教哲学として、私には仏教が生活の中にありました。
そして、米国で私自身が仕事をするとなったときには、
原始キリスト教・旧約・新約から、カソリックとプロテスタントを学習。
いわゆるキリスト教と仏教とは比較検討の知識化、
そこから改めて新興宗教もみてきました。
そして、ユダヤ教、イスラム教は宗教哲学でないので、
私には生活との一体感は全く不明でした。
正直、イスラム圏は分かりません。
イスラム教での教義からのテロは、いわば、危機管理=リスクデザインとしても日本では不可能が結論です。
おそらく、私の予想では、欧州もイスラム教に支配されるでしょう。
G7、G8にしてもこれらはキリスト教支配下であり、
日本の仏教思想のまともな宗教論理は外れています。
私は宗教は、世界観の文化では無いと思っています。
キリスト教の分断は英語が分断されて、イスラム教内での分断は、
より大きな力になって欧州はやがてこの宗教に支配されるかも知れません。
それこそ、歴史は戦争の系譜でしかなく、その裏側には宗教、
特にキリスト教が根付いていたことは否めません。
そのキリスト教の歴史も簡潔にまとめてしまえば、
差別と信仰感を支配してきた系譜になるだけです。
よって、宗教での倫理性などは無神論とせざるをえなかった哲学が存在。
結局は、「生きる」ことと「死んで逝くこと」を宗教支配で差別闘争、
これをもっても宗教は文化とは言えないと判断すべきでしょう。
今、世界は宗教分離は信仰差別が闘争となってしまったと言えるでしょう。
私は改めて仏教も根柢で見直して、民族思想の文化=美と義と善を、
デザイン思想に取り込み直すべきと考えています。
宗教の「壁」はデザインにとってもアポリアだと考えざるをえません。




大川剛史

2017年12月24日 (日)

「他人を変えようとする限り平和は来ない」ネイティブアメリカン

表題の記事が有りました。引用させて頂きます。
リンク
(以下引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ネイティブアメリカンの叡智
しばらく前から口伝で続くネイティブアメリカンの叡智を学んでいます。その中で、
【他の人がどうするべきか、からは世界の平和はありません。】
という言葉に出会いました。相手が変わるように働きかければいつか相手は変わってくれる、上手くいく、という淡い期待が僕の中にありましたが、それが崩れ落ちるような感じでした。
相手を変えようとする僕の中には、自分が正しく相手が間違っている、という、物事を良い悪いで見ている自分がいます。夫婦関係でも自分の正しさを主張し、相手を変えようとすれば、たとえ相手をうまく説得できたとしても、相手の中には我慢や反発が生まれ、互いへの信頼や安心感は壊れていきます。かといって、何も言わずに我慢しても、相手を否定してしまう自分はダメだと自分を変えようとしても空回りします。
人や出来事に不快な感覚を感じるとき、人を変えようとするでも、自分を変えようとするでもなく、「その問題は私に何を教えてくれているのか?」と見てみる視点が必要。どんなに不快に感じる出来事や出会いも、自分に必要なことを教えてくれている。不快な問題から問われていることに気づくと、問題が問題でなくなったり、相手が別人の様に変化する体験を僕自身何度もしてきました。
僕が誰かや、会社、社会を変えようと働きかける限り世界の平和はない。起きている出来事や人を良い悪いなく観て、湧いてくる感情と感覚から気づきを得ていく。人間の内側と外側を融合する生きる知恵をひとりひとりが身につけたとき、世界に平和や調和が生まれるのかもしれません。
そして、自分を知り問題から問われていることに気づく力を身につける事で、この世界から自分は愛されていることや、自分が何をしに生まれてきたのかが分かるのだと思います。
ネイティブアメリカンの叡智はまだメルマガで書くことができないほど深く、体感として落とし込みながら、分かち合っていきたい思います。
(引用終わり)




廣渕一志 

2017年12月20日 (水)

判断力や理解力を最大化する一つの方法~「上機嫌でいる」こと

内田樹氏の著書「最終講義」の中から紹介したい。
医師と救急患者の関係を持ち出して、その心理的情景を描いている。
1分1秒を争う判断、正解のない中で最善をつくす状況。
私は医師ではないが、やはり設計の仕事の中でも時にそういう状況が発生する。その時の心の有り様として留めておきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
判断力や理解力を最大化するためには方法は一つしかない。
それは「上機嫌でいる」ことです。にこやかに微笑んでいる状態が、目の前にある現実をオープンマインドでありのままに受け容れる開放的な状態、それが一番頭の回転がよくなるときなんです。
最高度まで頭の回転を上げなければ対処できない危機的局面に遭遇した経験のある人なら、どうすれば自分の知性の機能が向上するか、そのやり方を経験的に知っているはずなんです。悲しんだり、恨んだり、焦ったり、というような精神状態では知的なパフォーマンスは向上しない。
いつもと同じくらいまでは頭が動くかも知れないけれど、感情的になっている限り、とくにネガティブな感情にとらえられている限り、自分の限界を超えて頭が回転するという事は起こりません。
真に危機的な状況に投じられ、自分の知的ポテンシャルを総動員しなければ生き延びれないというところまで追いつめられたら、人間はにっこり笑うはずなんです。それが一番頭の回転がよくなる状態だから。上機嫌になる、オープンマインドになるというのは精神論的な教訓ではないんです。追いつめられた時に生物が採用する、生き延びる為の必死の戦略なんです。
以上、抜粋




 
田野健 

2017年12月14日 (木)

なぜテレビを見ていると"バカ"になるのか

なぜテレビの言葉は空回りするのか。批評家の宇野常寛氏は、テレビ番組でコメンテーターを務めていた理由について「『こんなものを見ていたらバカになる』と伝えるためだった」と振り返る。宇野氏はその問題意識を新著『母性のディストピア』(集英社)にまとめた。そこで論じられたのは宮崎駿、富野由悠季、押井守というアニメ作家の作品だ。この時代にアニメを論じる理由とは
――当時の宇野さんは討論番組にもよく出ていましたね。
2011年から2013年ごろまで、僕は『ニッポンのジレンマ』や『日曜討論』といったNHKの討論番組によく出ていました。でも、「ノンポリのオタク」というフレーズには僕なりの「アイロニー」もありました。本当は自分を「ノンポリ」と思っているわけではないんです。むしろ僕のような態度こそ政治的だとすら思っていた。要するに人間の消費活動やメディアとの接し方といった場面から社会を考えるほうが、20世紀的なイデオロギーで右とか左とかいうより、ほんとうの意味で「政治的」だと思っているわけですね。
僕は本当はいきなり「憲法が……」みたいなところから語るのは好きじゃないんですよ。でも、討論番組に出てくる政治家や学者たちの一部は、まあこの本の言葉で言うなら「政治と文学」は切断されていて、自分たちは政治の言葉で語っていると思っている。その強烈な思い込み、戦後日本的な思い込みが、彼らの言葉をすごく空疎にしている。当時はその空疎を明らかにするという戦略を取っていたんですよね。
こんなニュースを取り上げること自体がおかしい
――この本を書いていた時期は、もはやそういう考えではなかったわけですね。
――具体的にはいつ頃ですか?
2015年の夏ですね。『スッキリ』が始まって数カ月たったときに、自分なりの手応えは感じていました。あそこで僕が言っていたことって、基本的にはたったひとつ、「こんなものを見ていたらお前たちはバカになる」ということです。週に一度、悪目立ちをした人や失敗した人を「叩いてOK」なものとして提示して、視聴者を「世間のまともな側」と思わせて安心させる。そんなのばっかりなんですよ。
それに対して、そもそもこんなニュースを取り上げること自体がおかしい、それをこんな切り口で紹介すること自体がおかしい、とずっと言ってきた。最初はギクシャクしたけれど、加藤浩次さんや僕を引っ張ってきたプロデューサーたちも、そんな僕の役割を「必要悪」として認めてくれて、居場所を獲得しつつあった時期ですね。
マイナスをゼロにする仕事でしかない
ただ、同時に、毎週強烈なむなしさにも襲われていました。あの場所で「ダメ出し」をするのは世の中に対して必要なことだと思うので一生懸命やっていましたが、それは結局、マイナスをゼロにする仕事でしかない。生産的でもなければ、想像力を刺激されるような仕事でもないんですよね。だから「自分の人生は本当にこれでいいんだろうか」と思ったんです。このままだと働き盛りの30代後半が、言ってみれば社会のドブさらいで終わってしまう。それはそれで大事なこと、必要なことだと思っているから引き受けたのだけれど、それだけで人生が終わるのはイヤだから、この本を書いた。そういう動機もあります。
――つまり、『ニッポンのジレンマ』にしても『スッキリ』にしても、テレビの視聴者は、宇野さんがアイロニカルに振る舞う様子だけを見ていたわけですよね。しかし、この『母性のディストピア』という本は、そういった言説の背景を示すものになっている。
少し言い方を変えると、『ニッポンのジレンマ』のころに僕がやっていたことは、政治の言葉を使う政治家や学者より、サブカルチャーの側から文学の言葉を使う僕のほうがよほど政治的である、という逆説的な状況を見せることだったんですよ。そうすることで、「社会と個人」や「政治と文学」の関係を問い直してほしかった。
この本にも書きましたが、僕は政治の言葉は文学とつながらなければ機能しないと考えています。振る舞いはアイロニカルにみえたと思いますが、一生懸命やっていたのは政治と文学の接続なんですよ。でも一言でいうと、まあ端的に、NHKのプロデューサーとケンカして降ろされたわけですよね。そういった僕の振る舞いをテレビの側が気に入らなかったわけです。
「こんなものはクズだ、ありえない」
――『スッキリ』ではどうでしたか?
『スッキリ』は生放送だし、とにかく尺がないので、もっと直接的に「こんなものはクズだ、ありえない」といったことをぶつけて、どんどん波を起こしていったわけですね。だから『スッキリ』では政治の言葉しか語っていないはずです。正確には政治ではなくて、ただの「政治ごっこ」なんですけれど。それが「ごっこ」にすぎないということを全力で指摘して、終わり。
だからあの場では政治と文学の分断をある程度受け入れざるを得なかった。そのフィールドに乗るしかないという息苦しさはずっと感じていました。そのはけ口のようなものが、この本に集中しているんですよね。それが僕のメディア人としてのひとつの回答です。
リンクより





森浩平

共認したスケジュールを元に小まめに目的と期日の共認を繰り返すための小グループ追求が一番の突破口

私の同僚の話です。
新追求のすすめ10
>同類闘争という未知なる世界に直面して、まず原猿が親和共認の機能を形成し、それを母胎にして真猿が闘争共認の機能を形成した。ここで最も重要なのは、原猿も真猿も、不整合な=未知なる世界に直面して、互いに「どうする?」と未明世界を追求し続けたからこそ、本能を超えた共認機能を形成し、知能を著しく進化させることができたという点である。
引用終わり
(対象への注視→)不整合がまず有り、それを整合したいという欠乏が、みんなで追求(グループ追求)の原動力となる。原猿や真猿はそれをやり続けることで、進化(生き延びる事)が実現出来た。
相手を注視し同化する中で、分からないこと、不整合に注目する。そこを全面的に受け入れ、仲間と共認する。その過程をもっと大切にしたい。
そこからしか本当の(内発的)追求は始まらない。その追求をしつづけるその先に、実現基盤があるのだと思った。今後の仕事の取組み方の参考にしたい。
以上
不整合感を感じる時はいつか?
実はいつでも感じている。
しかし感じる所が違う。
・統合者(=追求者)は追求しているから事実=事象その物に不整合を感じる。しかし、狭い枠(への捉われ)意識がある時は自我に直結して、与えられない評価とのずれに不整合を感じる。
歴然とした差がある。
水と油の関係なので混じりあうことがないと思っていた。
上記の話から考えると、相手(社会、施主、関係者、仲間)の不整合感に全面的に同化する。更に、グループ追求を続けて対象に同化充足する中で(自我を封鎖し)充足共認に収束することになる。
しかし冒頭の自我の封鎖の話とは次元が違うようだ。
自我のレベルは私権社会のレベル。暗記脳=答ありきの試験脳の範囲。
私権社会の残存が答の見えない課題=見通す力を問うスケジュールの作成をいい加減にしている。結果、スケジュールは破綻してグループ追求に至らない、その結果、苦役な作業が更に苦役になる。
 実は、共認したスケジュールを元に小まめに目的と期日の共認を繰り返すための小グループ追求が一番の試験脳の突破口(前進力)だと気付いた。




酒井俊弘

2017年11月30日 (木)

「節操がない、信頼できない、共感できない」野党大敗北、3つの理由②

「ズレた理屈」を振りかざす
節操がなく、信頼できる政策もないのに「妙に理屈っぽい」。これが野党敗北の第3の理由だ。それは左に傾けば傾くほど、顕著になる。たとえば、立民は今回の躍進を受けて希望や元民進の無所属議員たちと連携を強めるのかと思いきや、そうではない。
立民の枝野代表は選挙後、「数合わせのような行動はとらない」と強調し、希望はおろか岡田克也氏が中心の無所属グループとも国会で統一会派を組まない方針を決めた。
岡田氏は会見で「希望と立民の結節点になる」と意欲を見せたが、立民の硬い方針を受けて、国会では「無所属の会」という院内会派を結成した。
なぜそんなに頑なになるかといえば、彼らはタテマエと原理原則、理屈にこだわるからだ。「それは排除の論理をふりかざした小池氏だって同じではないか」と思われるかもしれない。だが、小池氏には理屈があったわけではない。彼女にあったのは「政権への野望」である。
野党は政権への野望より前に理屈がある。それが現実に根ざした理屈であるならまだしも、肝心要の現実認識がズレている。安倍政権打倒が最優先であり、中国や北朝鮮の脅威とか景気回復をどう実現するか、といった政策課題は後回しである。
分かりやすく言えば、まず安倍政権を打倒する。なによりこれが目標だ。その目標を達成するために、使える材料はすべて使う。モリカケ問題はその典型だった。自分たちが政権を奪取したらどうするかは、後で考えればいいくらいに思っている。
それならそれで徹底して野党が一致団結すればいいのに、理屈っぽいから細かい点で一致できず結局、バラバラになる。選挙が終わっても、まだバラバラなままだ。
共産党は「憲法や自衛隊問題を棚上げして共闘を呼びかけた」と言う。だが、それで選挙に勝って政権をとったら、いつまた棚から下ろすか分からない。もっとも左にいる共産が1番頑固で、自分たちの理屈を絶対に曲げないのである。
私は左の共産党が理屈でがんばっている限り、野党が再び政権を奪うことはないとみている。彼らは共闘から外されれば、自前の候補を擁立するしかない。そうなればまた野党の仲間割れになるからだ。
野党は以上のように節操がなく、政策がなく、そのくせ理屈っぽい人たちの集団である。これは、かつて40年以上も前の学生時代に私が経験した左翼たちの実態とまったく変わっていない。それでもかつての自社2大政党が国会を牛耳った55年体制はとっくに崩壊し、野党勢力は衆院で3分の1にまで転落した。
野党はいつになったら目覚めるのか。復活の兆しはまだ見えてこない。




大川剛史

2017年11月29日 (水)

神との契約

西洋人の思考は、皆殺しの略奪闘争の結果である極度の自我収束によって発生した、個人間の反発力ゆえに集団を形成できないという現実問題から始まる。しかし、敵への対応も、食料確保も、共認充足も、集団に属さない人間は得ることが出来ない。
そこで、生きるために、この個人間の反発力のこしたまま集団を形成すべく、地上の目の前の人間を共認対象とするのではなく、利益を与えてくれる天上の神と個別に一本の糸で結ばれたような、観念上の共認である契約を行った。
そして、同じ目的で、同じ神と契約を行った人間同士は仲間であると観念から仲間を逆規定し、自我の持つ個人間の反発力を、その目的である共通の利益のために封印した。
このことにより、同じ利益を追うものは仲間であるという共認でなりたつ、人工的な観念共認集団ができあがり、利益の確保や仲間との部分的な共認充足を得ることが出来るようになったが、最大の共認充足は、自我充足のままである。よって、この目的が崩れ去ると、再び敵同士になる




 
本田真吾

ネガティブだと思われているが、実際には健康的な7つの感情・行動【その1】

ひとことで言うなら「不整合を流すな・溜め込むな」ということか。
《以下引用》リンク
もっとも健康的な行動とは、あなたが単純に本物の自分らしくいることです。しかし私たちは、そういった行動を自分自身の行動が健康的でないと思い込んで避けることがよくあります。
あなたの心と体は、あなたが必要としていることを知っています。本物の自分自身の声に従うことが重要な理由を思い出す必要がある時は、実際には健康的なのにネガティブと考えられることの多い、次の一般的な行動を再確認してください。
1.怒ること
多くの人は怒りの感情を表現することを避けようとしますが、怒りを表現することは非常に解放的な経験となることもよくあります。怒りを感じ、それを健康的な方法で表現することで、私たちは自分の人生に力強くポジティブな変化を生み出すことがあります。
怒りとは不当な扱いを受けたり、個人的な境界線を侵害された時に私たちの中で持ち上がってくる感情の一つに過ぎません。このエネルギーは、私たちの苦しみの原因となっている不適切な状況を取り除くという使命を始めようと生まれるのです。
そのためにはまず怒りのエネルギーを受け入れて、ポジティブな目的で使う方法を学んでください。怒りを感じたとき、よりよい変化を作り出すためにその怒りをポジティブに表現する方法がないかを考えてください。
怒りの感情を否定して避けようとすると、たとえば激怒や鬱(うつ)のようなあまり健康的でない存在に変化してしまうことがあります。健康的な怒りりは、あなたを守り、解放するために存在しているのだということを理解してください。
2.迷い
私たちが迷子になるのは、方向感覚を失った時です。しかし私たちは迷子になった時、一瞬一瞬に注意深くなり、自分の本能に耳を傾けるようになります。大都市や外国で迷子になったことのある方は、行く先を探している間に素晴らしい発見をすることもあったのではないでしょうか。
人生においても同じことが言えます。迷子になるのも旅の重要な一部で、迷子になって自分だったら絶対に選ばないような道を堕ちていくような感覚を感じる時に、素晴らしい自分自身についての発見をすることもあると知り、受け入れてください。
今まで知らなかった才能を発見したり、以前のままだったらできなかったかもしれない友人や仲間を見つけることもあります。
今、道に迷ったように感じていたとしても、永遠に迷子のままという意味ではありません。あなたは自分自身の道を探し出すために時間を使っているだけであり、周りの世界があなたにとって最善の方向に向かうために必要なインプットを与えているということです。自分で望むことは決してないだろうというインプットこそが、私たちを正しい方向性に向ける結果となる、ということはよくあることです。
《続く》




洞口海人

ネガティブだと思われているが、実際には健康的な7つの感情・行動【その2】

《以下引用》リンク
3.泣くこと
泣くことは怒りと同様、人間が特定の状況に対して見せる感情的な反応です。四六時中泣いてばかりいたいと思う人はほとんどいませんが、しかし人生で涙が流れるような瞬間を誇らしく思うことは大事なことです。失った悲しみの涙の場合もありますが、喜びから流れる涙もあります。
私たちが泣く時、魂がエネルギーを放出させるきっかけとなります。このエネルギーを放出させない場合には、有害なエネルギーになったり私たちを硬直した状態させることもあります。
泣くことで外の世界に向けられた私たちの性格や見た目を柔らかくすることも多く、自分の周りの世界から影響を受け、感じ、気にかけたり悲しんだりするということを他者に知らしめます。
ですので、泣くことは深い悲しみを解き放つだけでなく、自分は人間としてオープンで弱さを持った存在であるというシグナルを他者に送り、どんな理由があっても絶対に泣かない人間よりもより魅力的な友人やパートナーとなりえるのです。
4.孤独でいること
一人でいることをネガティブなことと考える必要はありません。必要のない社会的活動から自分を切り離し、自分のより深いレベルに潜り込んでいるだけである場合もよくあるからです。
もちろん、誰かが自分の殻にこもっている場合に心配した方がいいこともあります。しかし世界で最も偉大なアーティストや作家、思想家の多くは、より深いひらめきを見つけ、自分たちの創造力を再び燃え立たせるために一人の時間をすごすことに至高の価値を見出すということもご理解ください。たまには外部からの刺激を遮断し、自分自身となる時間を過ごすことも必要なのです。
一人でいる時間が必要だと感じる場合、その感覚を信じて誇りに思ってください。一人で公園を散歩したり、一人旅に出かけることで、あなたの目的意識を完全に刷新するようなレベルの内省がもたらされることがあります。
自分にできる最も健康的なことが独りになること、という状況もあるのです。
5.人の話を聞かない
他人の言うことに耳を傾けないということは、反社会的、あるいは傲慢な態度だと思われることもよくあります。しかし時には、自分の直感に従って、自分の内側からの呼びかけに対して自由になる必要があることもあります。
強力なビジョンから目を逸らさないためには、そのビジョンを理解していなさそうな、あるいは見ていない者の意見を無視する必要があるのです。自分自身を信じ、与えられたアドバイスを聞かない方がいい理由があるかもしれないということをご理解ください。
人の意見を聞かないということはまた、一定の優れた判断力があることの表れでもあります。
周りのいうことを聞いてばかりの人は、まるで舵のない船の船長のように、内部の強い方向感覚が欠けた人のように見えることも多いでしょう。
他人の言うことを聞くべき時と、そうでない時の区別がつけられるくらい賢明になってください。
他人が言うことに反しても自分の直感が進めといっている時は、その直感を信じてください。
6.ルールを破る
ルールを破ることで、あなたの人生だけでなく他人の人生にもよい影響がある場合があります。ルールはどこかの誰かによって作られたものですが、完璧な人間などどこにもいないのですから。
ルールが作られた背後の思惑を読み取るご自分の能力を信じ、そのルールがより大きな善のためになるかどうかを自分で判断してください。
アートや科学、社会におけるほとんどの革新的なものは、誰かが言われたままのルールに従うことをやめて、不当なルールに挑戦する勇気があったからこそ起こります。
世界でも最も偉大なルール破りの達人には、ローザ・パークス(アメリカの黒人人権の活動家)やガンジー、ジョン・レノン、マーティン・ルーサー・キングJr.などがいます。彼らのようになることを恐れる必要はありません。
7.社会不適合
社会にうまく適応できないことは、特に十代の頃には痛みを伴ったり、居心地の悪いものであったりもします。しかしそれは、あなたが革新者で、常識を遥かに超えた何かをもたらすことができるということを意味している場合もあります。
私たちが社会に適応するということは、通常は私たちの考え方や感じ方、想像することでさえコミュニティと同調しているからです。
他人が私たちに期待している限定されたイメージから一歩踏み出すと、その社会に適応することはできなくなるかもしれません。しかしそうすることによってのみ普通に受け入れられている信念や考えの範疇の外側の世界を探索することができるようになり、そこで初めて革新的なものを生み出したり、新しい考え方やアイディアを豊かに生み出すことができます。
未来が過去に上手く適合することは絶対にありませんから、あなたがたとえ他人と上手く適合できなくても「今」に存在している自分自身を受け入れてください。
あなたの新しい考えが、最終的には他人が通ることになる、新しい道筋を作り出す可能性もある、ということを覚えておいてください。
《引用以上》




洞口海人

2017年11月28日 (火)

「節操がない、信頼できない、共感できない」野党大敗北、3つの理由

落選を「人のせい」にする無節操
総選挙での敗北を受けて希望の党が大荒れだ。立憲民主党も勝ったとはいえ、安倍晋三政権を脅かす力はない。民進党はとっくに風前の灯である。野党勢力はなぜダメなのか。「野党敗北の真の理由」を考えてみる。
希望の醜態は総選挙が終わった後も続いている。10月25日に開かれた両院議員懇談会では、小池百合子代表の辞任を求める声が上がった。小池氏を批判する議員たちは「『排除』発言の責任をとれ」と迫ったようだ。これぞまさに「天につばを吐く」ではないか。
彼らは憲法改正反対や安保法制反対を叫んでいたのに、自分が勝てそうにないと分かって、一夜にして主張を翻した。議員バッジ欲しさに自分のほうから小池氏にすり寄った経緯はすっかり忘れているらしい。そんな信念のなさは国民が見抜いた。
敗北した理由は自分たち自身にもあるのに負けてしまったら、今度は「代表の言動が敗因だ」などと言っている。まったく恥の上塗りである。こんな人たちに頭を下げなけれならないとは、自分が撒いた種とはいえ、小池氏のほうが気の毒になる。
希望に比べれば、立憲民主党を作って戦った「枝野幸男氏は立派」と有権者に受け取られて、立民が大健闘した。だからといって、私は枝野氏が筋を通したとは思わない。枝野氏も当初は前原誠司・民進党代表の希望合流提案に賛成しているからだ。
枝野氏は「自分も希望に移れる」と思って賛成したが結局、排除されたので、やむなく立民を作っただけではないか。本当に筋を通すのであれば、小池氏が改憲論者なのはだれでも知っていたのだから、希望への合流提案が出た時点で戦っていなければおかしい。
そうではなく、実は枝野氏も本来、改憲論者なので(8月11日公開コラム、リンク)、もしかしたら内心「この際、希望に移って徐々に軌道修正しよう」と考えていたかもしれない。
ところが排除されてしまったので「この際、改憲反対で徹底するしかない」と腹を決めて左にハンドルを切った。そうしたら大成功した。そういう話だった可能性もある。あるいは「いずれ希望を乗っ取ればいい」くらいに考えたかもしれない。その辺は枝野氏でなければ分からない。
いずれにせよ、そんな野党議員たちの「節操のなさ」が敗北の第1の原因である。
「何でも反対」で信頼されるか?
節操のなさは、物事をとことん突き詰めて、誠実に考えることをしない態度につながっている。それが野党の政策に表れている。たとえば経済政策はどうかといえば、彼らは基本的に財政金融のマクロ経済政策を理解していない。
希望は消費税凍結を言ったのはいいが、金融政策について公約は何も触れていない。「ポスト・アベノミクス」で規制改革と特区の活用も言ったが、小池代表は選挙戦で他の野党と同じようにモリカケ問題を取り上げて安倍政権を攻撃した。
外交・安全保障政策で希望は本来、安保法制堅持だったはずなのに、早くも揺らぐ可能性が出ている。国政を旧民進出身者が9割を占める当選議員たちが仕切るとなると、もともと彼らの多くは安保法制反対だったので、軌道修正を図るかもしれないからだ。
立民の枝野氏は「安法法制が違憲だから憲法改正に反対」などと言っている。言うまでもなく、憲法は安保法制の上位規範だ。100歩譲って安保法制が違憲という主張を認めたとしても、それが憲法を変えてはいけない理由にはならない。
枝野氏は安保法制を違憲と考える理由について、テレビで「海外派兵を認めているからだ」などと語っているが、自衛隊の海外派遣は湾岸戦争後の1991年、ペルシャ湾派遣以来、何度も実施している。
安保法制について言えば、海外派兵を認めるケースは「日本が存立危機に瀕しており、他に手段がなく、必要最小限にとどまる場合」に歯止めがかかっている(武力行使の新3要件)。日米同盟の強化なくして、中国や北朝鮮の脅威にどう対応するのか。
ようするに、彼らは「安倍政権反対」が政策なのだ。「政権を任せるだけの信頼できる政策がない」。これが野党が敗北した第2の原因である。




大川剛史

«否定している自分を疑う

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