2017年11月22日 (水)

否定している自分を疑う

鬼頭宏昌経営者メルマガより、引用
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【 目標というもの 】
いちど作った目標は、絶対に達成するという強い意志が必要だと痛感している。
そして、目標は、自分の限界以上のレベルのものを持つことが好ましい。
非常に高いハードルでも、毎日、目標と向き合っていると、ふと手にした情報や、なんとなくのタイミングで、達成する方法がおりてくる。
そこに希望を見出し、「この方法なら、やれるんじゃないだろうか・・」と、自分にモチベーションをかけるわけだが、
そもそも、経営は逆算でやるべき。
現時点からの足し算で経営をすれば、いきあたりばったりの経営になる。
コーチングの世界で、偶然によって展開していく人生を「展開型」と呼ぶことがあるようだが、経営の世界で、展開型に期待すると、確実にいきあたりばったりの経営になる。
いつまでたっても成長しない会社の本質的要因が、まさにコレ。
偶然の出会いによって道が拓けることは多いが、あくまでもビジョンと目標があってこそ。
展開型という言葉は、楽して成功したいという潜在需要に対するマーケティングメッセージだと思われる。
さて、逆算の経営に話を戻そう。
経営している会社を成長させようと思えば、展開型のようなユルいスタンスではなく、将来の高い目標からの逆算で経営を行う必要がある。
将来の高い目標からの逆算をする際に、最も重要なのは、ありとあらゆる方法論を否定しないということだ。
頭からダメだと否定している選択肢の中に、本当の答えが潜んでいることは多い。
だから、自分の否定的な考え方を疑う姿勢が必要なのだ考える。
私たちが、思い込みによって排除していることは非常に多く、世界の広さを思い知ることが多い。
いままでの発言や考え方を、あっさりと手放せる経営者でありたいものだ。




根木貴大

2017年11月16日 (木)

相手の考えや期待に同化するにはどうすれば良いのか?

329666 を見て頂ければ分かるように社会で求められる能力には同化力と追求力が必要ですが、今回はその中の同化力に注目して「同化力を身に着けるためにはどうする?」というのを追求していきます。
◆同化とは何か?
まず同化力が必要なことはことは分かっても同化の意味が分からなければ全く意味がありませんのでその意味から押さえていきます。
『・対象の状況や言葉からその背景にある欠乏を掴み、互いの状況を同一視することができる能力
・人類最基底部にある適応本能として原初から持ち合わせている能力』です
つまり・・・
⇒それは同化能力は誰もが持っている能力であるということ。
心を空にして相手を対象化し、対象に肉薄すれば対象に同化できる ということです。
 
◆同化を妨げているものとは何か?
同化できない人や同化できない状況にある人に共通している構造があります
→それは自分屋・批判屋であるということです。
『自分屋というのは自分の認識や成功体験を中心にした考えに固執して対象を見ることすらできなくなっている人のこと
批判屋というのは何に対しても批判してばかりで「どうする?」という考えを持たず追求しない人のこと』です。
 
そして自分屋や批判屋の意識の深層にあるのは自我や私権でありその根本は否定意識です。
しかし否定意識の追求では表層の追求しかできず、表層回路に過ぎない
⇒では一体どうすれば同化のできる考え方になれるのでしょうか?
否定意識を危機意識に塗り替えることが重要です。
◆否定意識を危機意識に塗り替えるには?
社会的な期待に応えていくには否定意識の払拭をすることが不可欠です。
そのためにはどうすれな良いのか?
⇒自分のことはゼロにして仲間や社会の様子に注視し、周りの期待や欠乏を感じ取る危機感を感じることができれば相手の期待に同化することも可能になります。




 
尾崎大翔

2017年10月31日 (火)

来るべき変化に備えるのに最も良い方法は、未来の創造に参加すること

(以下、リンクより引用)
『9プリンシプルズ 加速する未来で勝ち残るために』21世紀のユーザーズ・マニュアル
本書を一言で表現するなら、「21世紀のユーザーズ・マニュアル」である。
本書の内容紹介に、「ビジネスの「ゲームのルール」の激変ぶりに、イノベーションの恐るべきペースの速さに、むち打ち症(whiplash)にならずついていくために不可欠な、『9の原理(ナイン・プリンシプルズ)』」と書かれているように、我々は、今、世界を動かすオペレーティングシステム(OS)が一新されるような大きな変化の時代を生きている。本書は、この新しい世界のOSについての強力なユーザーズ・マニュアルである。(中略)
本書は、次のように指摘する。「グーグルの共同創設者ラリー・ペイジが《ワイアード》誌に述べたように「[ほとんどの]企業がだんだん劣化するのは[かれらが]以前にやったのとだいたい同じことを、マイナーチェンジしただけで続けようとするからだ。絶対に失敗しないとわかっていることをやりたがるのは自然なことだ。でも漸進的な改善は、やがて陳腐化する。これは特に、確実に漸進的でない変化が起こるとわかっている技術分野ではそうだ。」
そして、現代の特徴は「非対称性」「複雑性」「不確実性」にあり、超高速の変革がデフォルト状態の世界で生き残るには、全く発想の異なる戦略が必須だとして、次の9つの原理を挙げている。
1. 「権威よりも創発(Emergence over authority)」
2. 「プッシュよりプル(Pull over push)」
3. 「地図よりコンパス(Compasses over maps)」
4. 「安全よりリスク(Risk over safety)」
5. 「従うよりも不服従(Disobedience over compliance)」
6. 「理論より実践(Practice over theory)」
7. 「能力より多様性(Diversity over ability)」
8. 「強さより回復力(Resilience over strength)」
9. 「モノよりシステム(Systems over objects)」
かつての生産プロセスは、特定の「権威」が主導していたのに対し、現在は、多くの人が関わることで生まれる「創発」が台頭してきている。これからの時代に求められるのは詳細な地図ではなく、方角を示してくれるコンパスであり、抽象的な思考は有用なコンパスのひとつである。低コストでイノベーションが起こせる世界では、安全よりもリスクをとるべきであるなど、ここには様々な指針が示されている。
ここで印象的だったのは、「言われた通りにしているだけでノーベル賞を受賞できた人はいない」し、「偉大な科学者の性質として最も過小評価されているものが、バカと思われても平気だということ」だという点である。
また、本書は次のように語っている。「成功への鍵はルールや、果ては戦略ではなく文化だ。道徳的な指針の話であれ、世界観の話であれ、感性や嗜好の話であれ、ぼくたちがこうしたコンパスをセットするのは自分たちが作り出した文化と、その文化をイベントやメールや会合やブログ投稿やルール作りや、果ては流す音楽を通じてどう伝えるかを通じてのことだ。それは、ミッションステートメントやスローガンよりは、むしろ神話体系のようなものだ。」
つまり、人間の発展におけるどんな時期も、共有される想定や信念の集合で特徴付けられるのであり、これらの原理は、ミッションステートメントやスローガンといったトップダウンの形ではなく、人々の間で神話体系のように伝えられるのでなければ、これからの新しい世界の扉を開くことはできないというのである。
本書を読んで、去る8月2日にソニーコンピューターサイエンス研究所で行われた、『知性の本質とは何か?』というシンポジウムを思い出した。ここでは、ヤフーCSOの安宅和人氏が、『知性とは何か、知覚とは何か』という講演を行い、それに続いて、『AI時代に問われるべき知性とは何か』というパネルディスカッションが行われた。
パネリストは、安宅氏に加えて、御立尚資氏 (ボストンコンサルティング グループ シニアパートナー)、石川善樹氏 (予防医学者)、北野宏明氏 (ソニーコンピュータサイエンス研究所所長)と超豪華布陣で、ファシリテーターは岩佐文夫氏 (DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー前編集長)が務めた。
このシンポジウムは最近参加した中でもずば抜けて面白かった。誰かが、「日本で最高峰の知性のジャムセッション」と言っていたが、プレゼンテーションの上手さや会場との一体感に加え、各パネリストの「アンチ・ディシプリナリー(非学際的)」色が半端でなかった。
そして何より印象的だったのは、パネリスト全員が、新しい未来に対して半端ではないワクワク感をもって臨んでいるように見えたことである。
来るべき変化に備えるのに最も良い方法は、それを傍観するのではなく、未来の創造に参加することである。そして、IT技術やソーシャルメディアの発展のおかげで、今、イノベーションのコストは格段に下がっており、人々が創発的な社会変革に参画できる機会が飛躍的に高まっている。
自分が面白いと思ったことに積極的に突っ込んで行き、自らの手で新しい未来を切り開く。我々は今、そうしたことが可能な時代にいるのである。
(引用終わり)




志葉楽

2017年10月27日 (金)

生きる意欲を失った子どもの心に付け込む悪魔の心理ゲーム

2017.08.24 yahooニュースリンク 
「自殺ゲーム」で少年死亡相次ぐ=ネット経由、当局が規制要請―インド
このゲームが日本に上陸することも恐ろしいが、このようなゲームに一種のよりどころを見出してしまう子供たちが多いことが問題の本質。
「仕方なく生きてる」と口にしている子供たちに生きる意欲と追求心を再生することが急務である。
*****以下、edamame より引用リンク
2015年、ロシアを発端に始まった自殺ゲーム「ブルーウェール」。
日本語で「青いクジラ」といい、自ら陸に乗り上げ自殺する習性があることからこの名がつけられた。
このゲームは自殺願望がある未成年を引き込み、「決められたルールに従えば異世界に行って救われる」という刷り込みを行う。現実へ不満が強く、特別な存在への憧れが強いティーンエイジャーの心をついている。
ロシアでは2016年4月までに130人以上の自殺者を出しており、自殺ほう助の厳罰化や、犯行グループの摘発など対策に乗り出している。
発端となったのは、ロシアのSNSであるVK.comのコミュニティの一つだ。独自の死生観を発信しており、自殺した少女の写真をシンボル化したり、音楽や映像を使用して若者たちを死へいざなっていた。その後、創始者の逮捕によって一時的に鎮静化するも、現在ではルールだけが独り歩きしてアプリ、チャットグループ、SNSのハッシュタグとして存在し続け自殺者を増加させているという状況だ。
<中略>
ついに東アジアにも進出してきたブルーウェールの波。もし日本に上陸すれば、秘匿性の高い日本のSNS文化では拡散を止められないだろう。
それでは、さらに詳しくブルーウェールについて見ていこう。
ブルーウェールのルール
このゲームはまず、自殺願望を持っている未成年が中心に集められる。「お前は太っている」「醜い」「負け犬」といった言葉でこの世界に居場所がない事を信じ込ませる。こうして自己肯定力のない少年少女の死にたいという気持ちを煽り、追いつめたのち、「特別な手段で死ねば、別の世界で救われる」という事を伝えるのだ。死後の世界の美しさや、先に逝ってしまった少女への称賛で死の美化を行う。霊的な魅力を感じさせる部分は、ある種の宗教のようなものである。
ルールはグループによってまちまちだが、現在拡散されているルールは以下のとおりである。
1日目、手に「f57」と刻み、写真を撮って管理人に送る。
2日目、朝4時20分に起き、サイケデリックなホラー映像を見る。
3日目、3回リストカットをし、写真を撮って管理人に送る。
(中略)
10日目、屋根に上る。(なるべく高いところ)
11日目、手にクジラを刻む。写真を撮って管理人に送る。
(中略)
26日目、管理人が死ぬ日を言うので、それを受け入れる。
27日目、朝4時20分に起き、線路へ向かう。(見つけたどの線路でもいい。)
28日目、一日中誰とも話さない。
29日目、「自分はクジラ」だと誓う。
30~49日目、毎日朝4時20分に起き、ホラー映像を見て、彼ら(管理人)が送った音楽を聴く。そして一日一回体を切る。「クジラ」と話す。
50日目、高いところから飛び降り、命を捧げる。
このパターンでは飛び降り自殺をすすめているが、線路に寝そべって斬首する形をとっているものもある。
このように、まじないのような行動をさせることで、プレイヤーは霊的な世界へより没頭するようになる。神のような視点を持った管理人が精神的に追い詰めた上、死までの経過を監視していると思い込ませる算段だ。
この事件で逮捕された、フィリップ・ブデイキン被告は、このゲームをはじめた理由についてこのように述べている。
「世の中には人間と生物としてのゴミがいる。社会のどんな恩恵を受けられず、害悪としかなり得ないやつらだ。俺はそういうやつらを社会から排除したまでだ。5年もの間このアイデアを構想していた。こういうゴミどもと一般人は区別する必要がある。」
ブデイキンはかなりの危険思想の持ち主で、亡くなった少年少女への同情は一切持ち合わせていない。英新聞社・dailymailの記事によると、彼は巧みな話術の持ち主で、少女に甘い言葉をかけ恋に落ちるように仕向けていたという。逮捕後にも大量のラブレターが届いていたのだとか。優しさや温もりとかけ離れた孤独な少女たちを誘惑するのは、彼にとってとても簡単なことだったのだ。
私がここまで詳しく書いた理由はただ一つ、この危険なゲームが日本人を惹きつける内容だと思えたからだ。
日本では過労が原因による自殺が注目されており、そのうち44%が20~30代の若者である。
海外では孤独や閉塞感は思春期に味わうものだったが、日本では成人しても孤独感に苛まれている人は多いとされている。
現代の若い社会人のほとんどは、誰も頼ることができず、上の層からは「役立たず。情けない。」「辞めて他に行っても絶対にうまくいかない」と道を絶たれ、限界まで使い倒される日々を送っている。孤独な状況と、逆らえない人間からの追いつめる言葉、心の余裕をなくす命令。・・・この構造がブルーウェールの心理操作と似ていると感じたのは、筆者だけではないだろう。
更にブルーウェールでは「死ねば異世界で幸せになれる」と付け加えており、退路がなくなった社会人にとって、どれほど甘美な言葉かわかるだろうか。
ブルーウェールが日本に上陸しないことを願うばかりだ。
*****以上、引用終わり



楊数未知 

2017年9月30日 (土)

考えない人間を生み出す日本の学校教育②

日本の若年層が心身に大きな問題を抱えるようになってことが、臨床に関わる医師たちが十年以上も前から報告しているようだ。
日本の若年層が求めているのは「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け、自分が傷つかないように自我を必死に守り、傷つくくらいなら何もしないことを選択する受動的な生き方」、まさに、安定志向に他ならない。
この状況を日本の教育が生み出しているという。
「怒り」という感情を教育で奪われ、牙を抜かれた若者たちリンクより
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○理不尽でも黙って指示に従うのが正しい生き方か?
「みんな仲良く」だとか「人類みな兄弟」みたいな教育があまりにも徹底され過ぎて、何があっても怒りという感情を抑えなければならないと教育されたらどうなるのか。
「怒りを感じたらいけない……」
「理不尽なことをされても仲良くしなければ……」
「自分が我慢しなければ……」
このような思考回路になっていくのは容易に推測できる。とにかく協調性を崩さず、その場を丸く収めることばかり求められるようになり、不安の中で生きるしかなくなってしまう。
(中略)
ただ「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける」だけしか学ばないで義務教育を終われば、面倒や対立やトラブルだらけの社会では押し潰される。 世の中が理不尽なことや危険なことを教えるべきだ。
その中で押し潰されないようにする方法を教えないから、若者たちはどうしたらいいのか分からずに、最初から最後まで自分を殺して生きることになってしまう。
なぜ、「正しいことを主張する」ことを教えないのかというと、今の学校は若者をサラリーマンにするための養成学校のようになっており、「主張するより上司に従うこと」が優先されるからである。
「上司の命令が理不尽でも黙って指示に従うのが正しい生き方だ」というのを学校から教えて社会に出して、サラリーマン社会でクビにされないようにしているのだ。
相手がどんなに理不尽なことを言ってきても、自分の主張は殺してひとまず謝罪したり賠償したりするように教えているということでもある。
こんな生き方を義務教育で徹底されたら、誰でも主体性を失って流れるように生きるしかない。本当に、こんなことでいいのだろうか。
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蔵端敏博

2017年9月21日 (木)

【実現塾報告】反のエネルギーが顕在化する=何らかの可能性収束、実現可能性が開かれたということ

大阪の類塾では、主に中3生を対象に「集中講座」と銘打って、生きる意欲と追求心を再生して、活力を持って入試を突破するための追求会議(認識転換の場)を開催しています。
そこで、感じられた意識潮流の変化を実現塾で扱ったので、一部を紹介します。
****
★去年までに比べて生徒の中で学校・先生に対する怒りの増大しているのはなんで?
豊かさ実現=’60安保闘争の時代の怒りの感情がポシャって以来、60年ぶりに表れてきた【怒り】という感情
これは何を意味しているのか?
’60安保闘争、’70全共闘運動のエネルギーはどこから?
表面上では「反お上・反貧困の怒り」であるが、それは2千年以上前からある。
しかしその怒りは強力な私権の強制圧力によって封じ込められてきた。それが表出してきたのは、
ついに、【豊かさ実現の可能性が開かれた】から
→その後一気に高度経済成長という形でみんな活力持って仕事やってきた
●反のエネルギーに見える現象は【反】にばかり注目してても仕方がない。それが顕在化する=何らかの可能性収束、実現可能性が開かれたという解釈が開かれたという視点に立つ必要がある。
学校への怒り爆発=反強制だけじゃダメ。それだけでは【怒り】にならない。
何らかの実現可能性がある。
★どんな実現可能性?
=みんなで楽しく追求する可能性―強制圧力がなくなったら追求したいことがいっぱい出てくる
【怒り】=脱強制の実現可能性への収束が顕在化
→自分を縛り付けてきた、抑制観念からの脱却が始まる。(「転換したもん勝ち」という生徒も)
類グループでも社員の追求機運・営業機運・認識欠乏△
強制圧力に潰される子どもたちをなんとかしないと!→能力論・活力論→講師・コンサルの意欲・追求心に火がつく
→抑制観念(自分には無理、どうせ自分なんて)→「ぶら下がり」が崩壊
=可能性が開かれた→早い者勝ち          |
    ↓                    ↓
 「どうする?」ではなく「何をする?」という意識になる
→抑制観念を脱ぎ捨てて、みんなで追求へ
****
「怒り」といえば対立や闘争のイメージがまず湧いてきますが、【可能性収束、実現可能性が開かれてはじめて顕在化する】という認識は目から鱗な気持ちがしました!
自分の中にある怒りの感情も、なんらかの実現可能性を感じ取ってのことだと思うと、その中身をもっと知りたくなるし、その発生源を追求したくなります^^
その源が自我だろうがなんだろうが、突き詰めて追求していけば、その先にはきっとみんなと一体の欠乏と充足に向かう実現回路が発掘できる♪
世界がすごく肯定的に見れるような気がした認識でした!




森明幸美

2017年9月15日 (金)

30年間も"自分探し"を続けた50代の末路「どこかに好きな仕事があるはず」

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30年間も"自分探し"を続けた50代の末路「どこかに好きな仕事があるはず」
「オレ、好きな仕事しかしたくないから」
今どきのキャリアをどう考えたらいいのか。失敗から学ぶことはたくさんあります。52歳になる友人の話を紹介しましょう。彼の名前は小林シゲキ(仮名)。口癖は「好きな仕事しかしたくない」でした。
新卒で入社したのは一部上場の大企業A社。まずはエンジニアとして働き始めました。しかし仕事は先輩の下請け仕事ばかり。彼にとっては「つまらないクズみたいな仕事」としか思えず、コツコツとやり続ける同期を横目に、何もかも不満でした。「こんな仕事するためにこの会社に入ったんじゃない……」。
入社2年目のある日。ついに上司との口論になりました。
なんと、そのまま勢いで彼はA社を退職してしまったのです。
しかし、幸いにも時代はバブル直前の好況期。そして小林が選んだのは伸び盛りの業界です。彼の言う通り、転職のクチはいくらでもありました。「オレは好きなことを仕事にするぞ! あんな職場にいても芽が出やしない」。新たな旅立ちに意気揚々としていました。
「お聞きしたいのは『あなたが得意なこと』です」
そして現在。
52歳になった彼は転職活動の面接のため、ある会社の会議室にいました。自分よりも10歳以上若い面接役の課長が入ってきて、レジュメを見ながら話し始めました。
課長「小林さんですね。A社を皮切りに、さまざまな会社を渡り歩かれて、華麗な略歴ですね。当社の業務はご存じと思いますが、どのような仕事を希望されますか?」
本人「希望というより、自分の好きなことしかしたくありません」
課長「……わかりました。質問を変えましょう。小林さんの売りは、なんでしょうか?」
本人「そりゃ、いろいろとできますよ。A社では◯◯◯の部署で◯◯◯の仕事をして、B社では◯◯◯の仕事を……」
課長「そこまでで結構です。どんな仕事をしてきたかはレジュメで把握しています。お聞きしたいのは『小林さんが得意なこと』です」
本人「先ほど申し上げた通りです。『自分が好きなことしかしたくない』と」
課長「……それでは、質問を変えましょう。小林さんが好きなのは、どんな仕事ですか?」
本人「……どんな仕事が好きか、ですか……。ええっと……」
課長「……わかりました。結果は後日ご連絡します。今日はお疲れさまでした」
転職を繰り返すこと十数回。前の職場を衝動的に退職し、すでに半年が経過していました。世間は『少子高齢化で人手不足』といわれていますが、彼は書類選考で落とされ続けています。この半年で面接にこぎ着けたのはわずか2回。先ほどのやり取りは、久しぶりに書類選考が通った面接でしたが、結果はNGでした。彼は私にこう言いました。「オレは自分が好きな仕事をしたかっただけなんだけどな。なんでこうなったのだろう?」。
つまらない仕事をコツコツやっていた、かつての新入社員時代の同期たちは、今は業界で活躍中です。彼はどうかというと、間もなく失業保険が切れ、貯蓄もありません。「近所のコンビニのバイトは時給1200円だって。時給が高くなったよな。次の就職までバイトしようかな……」。ため息まじりに語る彼に、かける言葉はありませんでした。
「好きなことだけしたい」は結局「自分探し」にすぎない
これは実際にいる知人をモデルにして一人の話にまとめたものですが、あなたの周りにもきっと同じような人がいると思います。
彼の何が問題だったのでしょうか? 結論を言えば、30年間ひたすら「自分探し」しかやっていないからです。どこかに「本当に自分が好きな仕事がある」と考える。そしてひたすら「好きな仕事」に巡り会うチャンスを追い求めてきたのです。
<一部省略>
小林の場合も、「これだ! これぞオレがやりたい仕事だ」と意気揚々と職に就いたものの、「話と違うじゃないか。これはオレがやりたい仕事じゃない」と失望し、離職することを繰り返してきたのです。
最近、まさに小林が望むように「好きなことを仕事にしている人」に出会う機会がありました。その人は30歳のカメラマン助手で、ある芸能人の写真撮影でご一緒しました。
「どのくらいこの仕事をしているんですか?」
「10年です。助手以外にもフリーランスで写真全般の仕事を受けています。ボクの天職ですよ」
彼は高校を卒業後、もろもろの事情で大学には進学せずに就職を決め、カメラメーカーに就職したそうです。当初は希望しない仕事だったため、大学に進学した同級生がうらやましかったと言います。仕事は「販売支援」として、小売店の店頭でカメラを売ることでした。どうにか販売台数を増やそうと、自分が撮影した写真を「作例」として店頭に出してみたところ、お客さんが興味を持ち、カメラが面白いように売れ始めました。これが初めて「写真は面白い」と思ったきっかけだったそうです。そのうち写真の修整の仕事も始めました。そして徐々に仕事が広がり、現在は独立して写真の仕事をしています。
2人の差はどこにあったのでしょうか? どんな仕事でも楽しい部分もあれば、イヤな部分もあります。やりがいは0か1かではありません。0から1の間にあるものです。小林は「本当に自分が好きな仕事は、必ずどこかにある」と考え、探し続けました。一方で写真の仕事を見つけた彼は「やってみると面白い」と、与えられた仕事のなかから楽しさややりがいを見つけ出しました。つまり、与えられた仕事でもイヤな部分ばかりを見ずに、自分なりの楽しめる部分を見つけ、それを育てて広げていくことを考えるべきなのです。
小林の問題は、実はもう一つあります。すでに50歳を過ぎているのに、ビジネスパーソンとしての「売り」、言い換えれば「商品力」がないことです。明らかに彼は「自分という商品づくり」を怠ってきました。今の時代、商品力のないビジネスパーソンに需要はありません。これは彼だけではなく、日本の多くのビジネスパーソンが共通して抱える課題でもあります。
会社から次々と与えられる仕事を必死でこなし続け、会社の社内事情や会社独自ルールにはかなり詳しくなる。しかし、「○○社の○○さん」という会社の看板を外した時、あなた個人として、何ができるでしょうか? 現実には、即答できる人はそれほど多くないでしょう。




今井勝行

将来に悩むより、まず自分の”心の鍛え方”を知ろう。

将来のことをあれこれ思い悩んでいる学生ほど、動いていないし、何も知らない、知ろうとしていない。
だから、「まずは動いて、心を鍛える」ことが、第一歩。
リンクより引用させていただきます。
先日、大学3年生のブロガー・けいぼーくんから相談をもらいました。
大学卒業した後のキャリアについて、悩んでます。
フリーランスになりたいとも思っているのですが、新卒フリーランスで食っていく自信は今のところ正直ありません。
なので就職することも考えていたのですが、
1.(インターン経験等で)企業で働くことが向いてないことが明確にわかった
2.周りの新卒フリーランスやフリーランスの方々の生活がうらやましい
といったこともあり、どう選択すべきか悩んでいます。
相談内容はざっくりとこんな感じで、今後の進路に悩んでいる様子でした。
で、わたしはこの相談を聞いたときに、「これは進路うんぬんよりも、まず心の鍛え方を知った方がいいんじゃないかな」と思ったわけです。
◆心を鍛えなければどちらを選択しても幸せにならない
たとえばこの相談に対する回答として「フリーランスになりたいならなっちゃいなよ!」とわたしが言ったとします。でもけいぼー君はその回答を聞いたとしても、「よしなろう!」とはならないだろうし、まだ不安で決断できないと思います。なぜなら自分に自信が持てていないから。フリーランスになりたいとわかってても、そこでやりぬく自信がないから一歩を踏み出せないんです。
だからといって就職を選択したとしても、「本当はフリーランスになりたかった・・・」ときっと後悔をひきずることになる。選択だけしても、根本的な解決にはならないんですよね。
だから選択をする以前に、まずは自分の中に「自分ならどちらを選んでもやっていける」という自信をつける必要がある。そういう心を鍛えなければ、根本的にこの悩みは解決しないと思ったわけです。
◆「自分なら大丈夫」と思えればどうとでもなる
わたしは「お金を稼いでるからすごい」とか「お金を稼いでいなければフリーランスになれない」というのはちょっと違うかなと思っていて、「自分ならできる」という確信があるかどうかだけかなと思うのです。
実際わたしのまわりにいるフリーランスを見ても、「お金はないけど自分ならなんとかなるかなと思って独立した」って人はしぶとく生き残っているわけで、そういう確固たる自信がめぐりめぐって信頼の蓄積につながり、結果的にお金が生まれるんですよね。
だって、「できるかどうか自信ないです」って人と「やってみせます!」って人がいたら、後者の方に仕事頼みたくなるじゃないですか?
わたしが独立したときも、会社を辞めた時点でまだ4万円くらいしか稼いでなかったし・・・。でもあのときのわたしは、「自分ならやれる」という確信があった。だから今までやってこれたのだと思うんです。
「できる」と思える人は、「じゃあどうすればできるのか?」と思考を一歩前に進めることができるんですが、「できないかも・・・」と思っちゃう人は、「自分にはできるのかできないのか」というところで思考が止まってしまうんです。
「思考は現実化する」と言われるように、自分がいま感じていることはそのまま現実に映し出されるってことですね。
◆目標が高すぎないか?他人と比べていないか?
怠惰な大学生活を送っていたわたしからすれば、そんなふうに大学生のうちから真剣に今後のことを考えられるだけですごいと思ってて、それだけでも尊敬します。
そして彼は実際に自分でブログやメディアを立ち上げて、収益を少しずつ出している。実際に自分でゼロからお金を稼ぐ体験をしているんです。
学生のうちからこんなふうにお金を稼ぐ経験ができただけで、わたしは「もっと自信を持っていいんじゃないかなぁ」と思うんですけど、どうにも彼は自信が持てないそうで。
はたから見ればいろんな経験をして「あの人なら大丈夫そうだ」と思っても、本人はどこか自信なさげになってしまうのは、目標の位置が高すぎるか、もしくは他人と比較してしまうからなのかもしれません。
彼はきっと「これくらい稼いでいなきゃ独立できない」と目標を高くしすぎていたり、「あの人より結果を出さなきゃ独立できない」とどこかで他人と比べてしまっているのかもしれない。
きっとここが”自信”を阻害する大きな原因だと思うんですね。
わたしの経験から、”自信”というのは「他人と比べず、自分の中で小さな成功体験を積み重ねる」ことでついてくるものなんです。読んで字のごとく、”自分を信じる”ってことですからね。
結論:いろんなチャレンジをして経験を重ねよう。
「根拠のない自信」ってよく大事だって言いますが、あれってどこからやってくるものかわかりますか?
わたし的には「経験の積み重ねによる”自分ならできるかも”という直感」からくるものだと思うんです。
少しの挑戦から小さな成功体験を積み重ねていって、「なんだ、結構自分やれるじゃん」という感覚を味わい続けることでその直感が磨かれ、根拠のない自信につながる。
このサイクルがうまく回るようになれば、きっと自分自身に確信が持てるようになると思うんです。だから、大学生のけいぼーくんが今やるべきは、「新しいこと、やったことがないことにチャレンジして小さな成功体験をする」ことかなと。
一見自分が成し遂げたいことと関係なくてもいいんです。きっとどこかで役にたつときがくるから。
他人の声に惑わされなくていい。大きな目標を達成しなくていい。まずは自分ができそうなことから始めてみる。
途中で失敗したらそれはそれで「うまくいかない方法を見つけた」という経験を積み重ねるので、どちらにしろ儲けものですよね。しかもそれを学生のうちに経験できちゃうんだから、わたしはものすごく羨ましい。。。
学生のうちに「うまくいかない方法」をたくさん見つけておけば、いざ社会人になったときにぐっと「うまくいく方法」を見つける可能性も高まるしね。
将来のことをうんぬんかんぬん悩む前に、まずは自分の心を鍛える経験をしていこう!



 
月あかり

2017年9月13日 (水)

入社三か月目の私が「教育係」を任されて学んだ事。

入社して三か月(正社員になって数日)して店長から一言。「専門学校からインターン生が来るから教育係になってほしい」。
私は足つぼ師としてマッサージの仕事をしていますが、自分の能力さえおぼつか無いという状況下で「大丈夫かなぁ」と不安でいっぱいでした。
そして合計十日間、アルバイト経験さえほとんどない、学歴も旧社会からすればないに等しい20歳そこそこの男の子に僕は何かを伝えなけれればいけない立場となりました。そこで感じたのは「これは本当にいよいよ自分は旧観念まみれで危険すぎる」ということと、人を育てるということはこういうことなんだという大切にしたい経験の二点です。それを発信・共有をしたいと思います。
●いやぁ、無理だろ時間が無さすぎる、、、。
インターン初日。その男の子が来てくれましたが、私には全く「教育係」のイメージが湧いていませんでした。というのもどう考えても私が仕事を教える時間が無さ過ぎたんです。マッサージは一人のお客様に1人の施術者が当たり前ですが、付きます。人気店の為、休憩時間以外、まとまった時間などほとんどありません。私に与えられたレクチャーの時間は開店直後の30分。単価の高いこのお店に求められる接客やご案内など、初歩的な事すら教えられず時間だけが過ぎました。
こうなるとどうなるかというと僕が施術に入るとインターン生は棒立ちになります。申し訳ないと思いながら自分にはどうすることもできませんでした。もちろん空き時間などに一所懸命教えるのですが、考えられないくらい疲労してしまいました。
●「教育係」としての歴然とした差
私の所属するお店には幸運なことに店長経験者が三人もいました。この人たちを真似しようと様子を見ていると動きが全く違っていました。一言二言話すだけで「自分たちが手が離せない状況になってもインターン生が動いてくれそう」というイメージが出来る。「お願いの仕方が上手い」というのが第一印象。でも実際は「人を育てる」ということに対して私と決定的に捉え方が異なっていたということが後から分かります。
だからこの人たちは「とりあえずやってもらおう、後からフォローすれば良いし」と放り込むスタンスを崩さないし、盛んにインターン生の話題をバックヤードで話していました。
●店長との「人に教える」時の捉え方の違いに気付いたきっかけ
なんで職場の人は楽しそうに余裕を持ってインターン生を教えれて、私は一杯一杯なんだろう。「教育係」としての悩みを数分店長に聞いてもらい、店長が一言。
「そんなに難しく考えなくていいよ~、インターン生がどこまでできるようになって、周りの人に何をしてもらいたいか、情報共有してないから大変なんじゃない??」
あ~なんだ簡単やーん。そうしますー!とすっきりしてから言われた通りにしてみると、教えらられること、経験してもらいたいことが二倍速で進むようになり、職場全体が安心して私に「教育係」を委ねてくれるようになりました。
そして僕は疑問に思いました。「なんでこんな簡単なことが見えなかったのか」。
●学校制度が植え付ける「教える」は社会にとって猛毒でしかない。
その問いに答えるのに時間はいりませんでした。人に何かを教える。育てるというイメージ、原体験が私の場合、学校の先生しか思いつかなかったためです。つまり1から10教える、先生と生徒の垂直関係、1日中「教えられる立場」(=生徒)など、学校では当たり前の価値観が、働く場(社会はこちらが中心)ではそんなものはどこにも存在しません。
8時間施術すればお金に換算すれば3万円ほどの売り上げになりその積み重ねが会社の貴重な売り上げになります。それを何時間も「教える」に割くというのは表面上は正しそうに見えますが、歴史を見ればわかる通り、生産に関わらせない人間にさらに自分の生産時間を割き続けることが如何に不自然なことなのか、考えてみれば分かります。
そして本当の学びは実際の現場で自分も生産に関わることでしか得られませんし、本当に危ないことだけその都度教えればいいのです。30分は少なすぎるのではありませんでした。「十分すぎた」のです。
また、教えるという指示を受けた途端、「私」と「インターン生」の関係しか見えなくなることや、「私の時間」など急に視野が狭くなり、思考停止に陥るのもこの学校制度で植え付けられた旧観念群が原因だと考えられます。
別にみんなで情報共有しながら代わる代わる見守れるし、むしろその方がインターン生も安心して生産に関われる。みんなも安心して期待を注げる。自分はそんな関係性を作り出せると期待されて「教育係」を任されている。
そんな組織の期待すらも見えなくさせる学校制度。危険すぎます。それに気づいたのはインターン期間終盤になってからです。
●「村上さんから学ぶこと、本当にたくさんありました。」
それでも成果はありました。インターン生がアルバイトを志願してくれたんです。インターンを受け入れる最大の目的が求人者を得ることなのではないかと考えると最大の成果だし、単純に嬉しいことです。
そして最終日、インターン生は言葉を詰まらせ本当に色んなことを感じてくれたんであろうそのトーンで私に「たくさん学ばせて頂きました。本当にありがとうございました」と言ってくれました。
私は「教育係」としては前述のこともあり無能でした。でも「お客様に喜んでもらうと本当に嬉しい。私たちはそうなってもらうにはどうしたらいいかを真剣に考え、またそのために働いている」ということを体験として得てほしかったんです。
自分自身が何よりもそれを体現し、そうさせてくれる職場に感謝をし、そしてインターン生が1人の生産に関わる対等な人間であるというスタンスを徹底しました。だから悩みも言う。
彼が感謝してくれたのは「働くということは最大の幸せである」ことを感じてくれたからではないでしょうか。
どんな立場になっても「教育係」として伝えなければいけない最大のメッセージはこれだと思います。それが組織全体の「人を育てたい」という気持ちの推進力となる。それが欠けたらどんな教育論もマネジメント理論も、私は実現しないと思っています。




むらかみたけし

2017年9月 4日 (月)

確かに赤ちゃんに可能性を感じますが、大人が封鎖されている力を解放するにはどうする?

今から25年以上前に学生だった私は、正直な所、学校の勉強が何の為に役立つかは分らないまま、やるしかないか・・・と、答えも持たずに捨象していました。
この時点で戦前の方達(国・自分達の暮らしを豊かにしたいと「志」を持って考えていた方々)と比べても、明確な目標も無くやる気が落ちていると思っています。
これらの突破口として、尾崎さんが( 327733 )で仰られるように赤ちゃんを同化対象に考える・・・。
赤ちゃんを良く注視すると、
・やる気が凄い!
・集中力が凄い!
・追求力が凄い!
・全ての対象が未知&可能性!だから、何でも興味を持つ!
・同化(一体化)しようとする力が凄い!
学校・テストの強制圧力に晒され、やる気を失ってきた私たちも、赤ちゃんの時にはこのような力を持っていましたよね。
では、私たちの中で眠っている?封鎖されている?力を解放するにはどうする?かが、今後の追求課題だと考えています。



塩貝弘一郎

«「平均」や「標準」を根拠にした思考は思わぬ失敗を生む

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