2017年5月24日 (水)

「七つの大罪」と「無財の七施」

4/11の朝日新聞に、素敵な記事があったのでご紹介します。
筆者である徳永進さんは野の花診療所というホスピスの院長をなさる方です。
___________
 人間には「七つの大罪」があるらしい。カトリックの教えである。
「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「嫉妬」の七つ。心当たりある、他人事じゃないわ、と思う。誰もが人生、これらの罪を避けきることは至難、と思う。
「人の死に立ち会う、よくそんなハードな仕事続けておられますね」と声をかけられることがある。「人を助けたいんです」、みたいなことはここまで年を重ねると、気恥ずかしくて言えない。「ええ、罪滅ぼしで」となら言いやすい。
「戦場に行かなかった罪」「地震や津波で家族を失わなかった罪」「自分が死ななかった罪」「今年も無事に桜を見た罪」。
えっ、それって罪かあと言われそうな罪の、罪滅ぼし。
 仏教は、罪や悪の反対側にある善、施しが人間にはあるとして、「無財の七施」を教える。「眼施(げんせ)」「和顔施(わがんせ・優しい顔をする)」「愛語施(あいごせ・愛情ある言葉を使う)」「身施(しんせ・体で奉仕)」「心施(しんせ・心配り)」「牀座施(しょうざせ・座布団を出したり、席を譲ったりする)」「房舎施(ぼうしゃせ・宿を用
意する)」の七つ。身分も知識もお金もない者でも、これらの行為を他人にしてあげることができるという。
 最初の眼施は、優しい目で人を見るということで、容易そうで奥深い行為、とも思える。ホスピスケアに限らず、ケアそのものの原点は「眼施」、だろう。
 死の臨床の原点ともいえることを青木新門さんは「納棺夫日記」(文春文庫)に書いている。「末期患者には激励は酷で、善意は悲しい。説法も言葉もいらない。きれいな青空のような瞳をした人が側にいるだけでいい(要旨)」。
 日に日に老眼が進む中で、そんな瞳について憧れながら、考えている。
___________
罪を償い清め、無かったことにする前者、施すことで相手を喜ばせ現実を変えていく後者。
ホスピスの現場でなくとも、日常の中でも納得する話だと思いました。



 
黄色い太陽

2017年5月21日 (日)

古典論理が人類を破滅に追い込むa

古典論理は同一律・矛盾律・排中律の三つから構成されている。
同一律(Principle of identity)
「AはAである。」「A=A」
「AはBである。」「A=B」
矛盾律(Principle of contradiction)
「AはAである。」「A=A」と
「AはAではない。」「A≠A」が
同時に成立することはない。
「AはBである。」「A=B」と
「AはBではない。」「A≠B」が
同時に成立することはない。
「命題とその否定命題が同時成立することはない。」
排中律(Principle of excluded middle)
「AはAである。」「A=A」か
「AはAではない。」「A≠A」の
どちらかだけが成立する。
「AはBである。」「A=B」か
「AはBではない。」「A≠B」の
どちらかだけが成立する。
「命題かその否定命題かのどちらかである。」
古典論理は
個人、家庭、組織、国家の同一性を担保している。
個人、家庭、組織、国家が
古典論理を振り回すことによって
個人同士、家庭同士、組織同士、国家同士の対立が発生している。
この対立が人類を破滅に追い込む。
戦争、紛争、経済戦争は
古典論理が引き起こしている。
この人類の破滅を解決する為には
古典論理には存在しない「容中律」の論理の力が必要である。
容中律(Principle of included middle)
「AはAである。」「A=A」と
「AはAではない。」「A≠A」の
両方が成立する。
「AはBである。」「A=B」と
「AはBではない。」「A≠B」の
両方が成立する。
「命題とその否定命題が同時成立する。」
排中律と容中律は完全に矛盾する。



千田祐介

2017年5月 8日 (月)

現実を作るのは心の癖

宇宙の法則は単純 使わないともったいないリンクから引用させていただきます。
---------------------------------------
現実を作るのは心の癖。
現実をどっち側から見るか。
例えば、いつも否定的な方向から見る人。
どんなに素晴らしい出来事、環境でも、すぐ欠点に目が行ってしまう人。
例えばワタスがインドに行く。ワタスは素晴らしい国に思えた。
でも、欠点に目を向ける人ならインドは発展途上です。
あれもないこれもない。人によっては文句ばかりの国になってしまうでしょう。
それはその人が欠点が大好きだということです。
欠点ばかり見てるとそういう世界を引き寄せる。
現実は後、心の癖が先。
(中略)
ワタスは宇宙の法則は非常に単純だと思っています。
大きな家に住みたい。お金が欲しい。 楽な仕事がしたい。
そういうことばっかり言ってると願望が見事にかなう。
ますます大きな家に住みたくお金が欲しい状態になる。
あれもないこれもない。あれもこれも欲しい。
そう暮らしてると、見事に願望がかなって何も手に入らない状態になる。
だから、たった今をどっち側から見るか。
何にもない状態から脱出したいのなら、なんもないよ~と言ってる時間を減らして何もかもあると思う時間を増やせばいい。
欠点ばかりの人と別れたいならその人の欠点を許して、その部分を見るのをやめるだけで良い。
超単純です。
ワタスは何にもいりません。 毎日満たされてます。ありがとうございます。 毎日、感謝してる時間を増やす。
そうすると益々満たされる世界に行く。
ワタスは最近はそのパワーがどんどん増してる気がするのでした。
だから最近は宇宙の法則を使わないとかなりもったいない。
こんな単純な仕組みを利用しないと損だ。
---------------------------(引用終わり)-----


上前二郎

2017年5月 1日 (月)

【あの人は頭が良いから出来る。私は頭が悪いから出来ない。】

「あの人は頭が良いから出来る。私は頭が悪いから出来ない。」、「それは、あなたの部署だから出来るが、私の部署では出来ない」と、繰り返す人が大人にも子供にもいます、
どう考えても間尺に合わない。
「私は頭が悪いから出来ない。」を呪文のように唱える人は少なく無い。もちろん根拠は無い。「私は頭が悪いのだから、出来なくても仕方ないじゃないですか。」と開き直っているだけ。もしくは、「頭の悪い私に、そんな難しい仕事を押し付けるあなたが悪い」と責任転嫁に使っている人も・・・。
このような人材は、一旦、横に置いといて、「頭が良い、悪い」=「出来る、出来ない」は何で決まるのかを考えてみました。
一般的に
・「様々な問題に対して答えを出せる人」を「頭が良い人」=「出来る人」
・「全く共認できない内容を主張」し、「ほとんどの問題にたいして、分からない、出来ない」と言う人を「頭の悪い人」=「出来ない人」と捉えている人が多いように思います。
どこに違いがあるのかと考えると
「頭の良い人」は、様々な問題を捉えていることから考えて、対象領域が広いと考えら「大所高所」から物事を捉えているのに対して、「頭の悪い人」は対象領域が狭いと考えら「枝葉末節」だけを捉えていると思われます。
共認動物である人類の対象領域で考えると、「みんな」と「自分だけ」の違いになると思います
もう少し踏み込むと「自分だけ」を考える人は自分以外のことは捨象しているのだから、自分にとって関係の無いことは全く考えることが出来なくなり「わからない、出来ない」のオンパレードとなり、かつ、「潜在思念の共認部分が生起しない」ため共認できないことばかりになり、結果、みんなから「頭が悪い」と言われるようになると考えられます。
さらに記憶蓄積という観点から捉えると
頭の良い、悪い人材に拘わらず、共に蓄積されているものは潜在思念(本能+共認)で約35億年の蓄積がある。それに対して、生まれてから獲得した観念(知識・情報等)は高々が数十年年程度の差。
・頭の良い人=(数十年+35億年)/(35億円)≒1.0
・頭の悪い人=35億年/35億年=1.0
数値的には差が無いといってよいレベル。
「頭が良い、悪い」の決定要素は対象が「自分のため」か「みんなのため」か、の違いのみとなる。
だとすると「私は頭が悪いから出来ない」=「私は自分のことしか考えていない人」になりますね((^_^)ニコニコ)
しかし、「出来ない」と繰り返す人に対して、周りの人がアドバイス(根拠も提示)をしている筈なのだが、中々、改善されない。
「なぜか?」この疑問に対する答えがるいネットにありました。
・・・・・・・・・・
【すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。】リンク より(抜粋)
この世の中には、何かを指摘されると、すぐ「自分にはそれはできない」と答える人がいます。
一見すると、その人は自信がなくて、本当に能力がないと思ってそう言っているように見えます。ですから、周りの人たちもこの人には何を言っても無駄だと思って諦めるようになります。
しかし、何事もすぐ「できない」と言う人は、本当に自信がないのではなく、本当に能力がないわけでもなく、ただ単に高慢なだけ、という場合が大半です。
なぜなら、指摘されたことを心から受け入れて、自分は間違っていると認め、その間違いを治そうと思うなら、その人の口から出てくる言葉は「できない」ではなく、「やってみます」となるはずです。
しかし、「やってみます」と言わずに、すぐに「できない」と答えるのは、その指摘を心から受け入れていない、あるいは受け入れたくないと思っている証であり、どうして受け入れないのか、受け入れたくないのかといえば、その人が高慢だからです。
ですから、もし自分が少しでも人から指摘されて「できない」と思ったり、「できない」と口に出して言ったりすることが多いようでしたら、一旦、立ち止まって冷静に考えてみてください。もしや自分は高慢になってはいないだろうか、と。
-略-
実現の時代。謙虚な人ほど、何にでもチャレンジしようと動き出している。
この期に及んで「出来ない理由」ばかりを考え、すぐに「無理」と言うような者ほど、現実捨象の他人事思考。
-略-
・・・・・・・・・・


 
加藤俊治

2017年4月18日 (火)

努力しない人がグチを言う

リンクより
///////////////////////////////
クリスティーヌ・ルウィッキー氏の心に響く言葉より…
グチは自分でも気がつかないうちに生じる反射的な行動であり、グチを言っているだけであれば、新しいことをするエネルギーも必要ありませんし、新しいことに注意を向ける必要もありません。
それに対して、グチをやめようとすると、自分の置かれた状況を客観視しないといけないので、頭を使う必要が出てきます。
だからこそ、最初のうちは大変なのです。
「グチを言わない」というのは努力の産物です。
不運は不運として受け入れた後で、あきらめることなく自分に何ができるかを考え、それを実行に移す。
これは単にグチを言うのに比べると、ずっと労力を要求される知的な活動です。
しかも、周囲の人を巻き込むためには、言葉で自分の考えていることをはっきりと表現することが必要となります。
心理学の研究によれば、楽天主義者に比べると、悲観論者はボキャブラリーがずっと貧弱だそうです。
また、これは若者の場合ですが、語彙が貧しければ貧しいほど、暴力を振るう傾向にあるということも証明されています。
つまり、言葉で表現できないからこそ、相手に暴力を振るってしまうのです。
『いつもの「グチ」がなくなる本』グロスメディア・パブリッシング
《打つ手は無限》( 滝口長太郎)
すばらしい名画よりも
とてもすてきな宝石よりも
もっともっと大切なものを 私は持っている
どんな時でも どんな苦しい場合でも 愚痴は言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
なぜなら打つ手は常に 無限であるからだ
( 滝口長太郎)
グチを言わない人は、それをなんとかしようと、ありとあらゆる努力をする。
何か打開策はないかと打つ手を探す。
「努力しない人がグチを言う」
どんなに苦しくとも、グチを言わない人でありたい。
///////////////////////////////



原てふ子

2017年4月 5日 (水)

「首から上」と「首から下」

「首から上」には
五感の内の視覚(目)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(舌)の四つが集中しています。
文明は「首から上」、特に視覚(目)と聴覚(耳)と味覚(舌)を刺激します。
国家も人種も民族も政治も経済も法律も
警察も軍隊も兵器も戦争も戦闘も紛争も
組織も科学技術も学問も哲学も人権も
教育もメディアも広告も機械も建築物も
テレビもパソコンもスマホも携帯も自動車も鉄道も
コンピューターもインターネットも
スポーツも性産業も娯楽もアニメも漫画もゲームも
「首から上」、特に視覚(目)と聴覚(耳)と味覚(舌)を刺激します。
裏を返せば「首から上」しか支配出来ません。
「首から下」を支配するのはほぼ不可能です。
今の時代、「首から上」が完全に暴走しています。
その一方で「首から下」が置き去りにされています。
欧米文明は「首から上」の発想で「首から上」だけをひたすら刺激します。
東洋思想は「首から下」の発想で「首から上」を極力刺激しません。
欧米文明の暴走を止めることが出来るのは東洋思想だけです。
「首から上」の暴走を止めることが出来るのは
置き去りにされた「首から下」に意識を集中させることだけです。



千田祐介

2017年3月 1日 (水)

【「怒り→否定視」と「視野狭窄」の関係と突破方針】

どのような人材であれ、「怒り→否定視」の感情が噴出した状態においては、思考が「視野狭窄」(=周りが見えない)状態に陥る。
*怒り:自分の思いとおりにならない時に湧き上がってくる攻撃的感情
何故、「怒り→否定視」が「視野狭窄」に繋がるのか。
ストレスを受けると「怒りのホルモン」とも呼ばれるノルアドレナリンが分泌される。この状態が「怒り」感情を生み出している。
・白血球の顆粒球(主に好中球)がノルアドレナリン受容体を有しており、この受容体に怒りに伴う分泌されたノルアドレナリンと結びつくことによって顆粒球が活性化する。
・顆粒球が増加する状態とは
交感神経が優位になって体が活発に動く時は、体に傷がつきやすくなり、細菌などの侵入も増えます。その為に、顆粒球(細菌等に対して攻撃を仕掛ける)の割合を増やして体を守っている。
これらから考えると「怒り」は、対象に対して攻撃(態勢を整える)する、同時に、闘争で傷つき細菌などの侵入に備えた状態といえそうです。
生物が攻撃(態勢を整える)する場合で、即、頭に思い浮かぶのは、外敵闘争場面です。この局面においては、対象に対して「肯定視」する生物などいません。徹底的に「否定対象」と捉えており、周りを気にしていると殺される(食われる)ため、「対象を打ち負かす」の一点に収束。これが生物の本能に刻印されている。
加えて哺乳類は、性本態本能(縄張り闘争本能)が付加され、人類はさらに共認の鬼っ子である自我(幻想の加速装置)が相乗収束し、「怒り」が生起したときに、「怒り」から派生した「否定視」が生起したときに、より強力に「対象を打ち負かす」の一点に収束する。
これが、「怒り→否定視」が「視野狭窄」に繋がる構造だと考えられます。
*全体が見えない。とにもかくにも自分の都合の良い細部尾話や全く関係の無い話しを持ち出し相手をやっつけようとする。
*補足
・否定視の対象は他者
・否定の対象は自分=他者に対する否定視を自分に振り向けた状態が不可能視。よって、不可能視も「視野狭窄」に繋がると考えられる。
・「おかしいや出来ない」等の否定視も不可能視も決断した状態。決断保留や可能性発思考のように次の思考が繋がる状態ではない。「否定視、不可能視」=決断なのでそこで思考はストップ(思考停止)=考えるのをやめる状況に陥るのだから、成果がでるはずもない。
○どう突破する?
・よって、延々と反省(否定視・不可能視主体の自分観念を使うため)などしないほうが良い。無能の自覚をさえすれば、反省など止めて「どうする?」=可能性発思考に入った方が良い。ただし、原因分析は必要。
・当然、本能に刻印されているため「怒り→否定視」から人類も逃れることは出来ない。しかし、「視野狭窄」状態を脱するためには、「怒り→否定視」をいかに短時間に終息されるかがポイントとなります。「怒り→否定視」を短時間に終息させるためには、前頭前野を鍛えること、即ち、(潜在思念に繋がった)追求力を身につけることです。
・「怒り」感情の持続時間は、10分程度。よって、「怒り」が生起したときには、時間を空けるという方法もあります。ただし、「否定視」は観念=時間に制限がないので、否定的な思考を止める、というよりも、「自分自身が、みんな充足を実現させる為に、これを突破する為にどうする?」を考える、をお勧めします。
・怒り(否定視、不可能視)が生起したら「チャンス」と意識。即、「何故、怒っているのか? その根拠はみんな充足の実現に繋がるか」、「怒りで相手の思いを見えなくしている可能性あり、相手の根拠は?その根拠はみんな充足の実現に繋がっているのか?」等を意識するようにすれば、比較的短期間で突破できます。必要はあると思い



加藤俊治

2017年2月24日 (金)

これからの日本人に求められるのは対立する度胸を持つこと

リンクより引用。
***
日本の「アパホテル」の客室に南京大虐殺を否定する本が置かれているとして、中国で騒ぎになったのだが、アパホテルはこのような見解を堂々と出している。
「異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます」
この書籍『本当の日本の歴史 理論近現代史』は元谷 外志雄(もとや・としお)というアパグループの代表が書いたものであり、「あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの」であるという。
しかし、歴史プロパガンダを仕掛けている中国はこうした書籍があることを絶対に認めない。
この一企業の動きに、中国では外務省が「日本国内の一部勢力は歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を国民に教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す」とわざわざ批判している。
今までの日本人であれば、すぐに腰砕けになって折れただろう。しかし、アパグループは折れるつもりはないようだ。やっと中国・韓国・北朝鮮の横暴に折れない日本人が立ち上がって来ていることを私たちは知る。
日本人よ、時代は変わって来ている。
~中略~
■今まで日本人は、協調性を意識しすぎた
世界に目を転じると、宗教問題、歴史問題、領土問題、人種問題で、絶対に妥協できない対立が激しくぶつかり合っていて、血で血を洗うような事態が起きている。
これらのすべての問題は民族のアイデンティティに直結しているので、話し合いも成立しないし、譲り合いも成立しない。譲れば民族としての存続が不可能になるので、絶対に譲れないのである。
折しも情報化時代に入っているので、こうした衝突は言論の場にも持ち込まれるわけで、だからこそ歴史プロパガンダが猛威を振るうようになっている。
欧米とロシアのプロパガンダ合戦、欧米とイスラム国家のプロパガンダ合戦、グローバリストとナショナリストのプロパガンダ合戦、アメリカ国内でのリベラルと保守のプロパガンダ合戦は日々、深刻なものになっている。
東アジアでも、中国・韓国・北朝鮮が日本に対して執拗かつ粘着的な捏造歴史プロパガンダ戦争を仕掛けており、日本人に対する誹謗中傷、批判、攻撃が恒常的に行われるようになっているのだ。
もう現代社会は「きれいごと」を言っているだけでは渡っていけない世の中になった。これから日本人も凄まじい言論対立に巻き込まれていく。
だからこそ、私たちは日本人としての主張を「押し通す」必要が生まれてきている。今までの理解・平和・協調から脱して、いよいよ闘争本能に目覚めなければならないのである。
歴史問題は、何も言わないと相手の都合の良い主張が世界の歴史になる。領土問題は妥協していると次々と土地を奪われていくことになる。
重要なところで妥協してしまうと、日本人の尊厳も領土もすべて奪われる。だから、民族の存続をかけて、きれいごとから去らなければならなくなっている。
今まで日本人は、協調性を意識しすぎた。
批判することを恐れ、主張することを恐れ、復讐することを恐れ、バッシングされることを恐れ、修復不可能になることを恐れてきた。
■今求められているのは、まさに「対立できること」
だから、逆に日本人が今後、立ち上がるためには、この恐れをすべて捨てて、脱皮しなければならないということになる。以下の5つを決意するということだ。
(1)相手を激しく批判することを恐れない。
(2)主張を押し通すことを恐れない。
(3)相手に報復・復讐するのを恐れない。
(4)批判やバッシングを恐れない。
(5)修復不可能な敵対・対立を恐れない。
日本人は何事も徹底する癖がある。戦後から今までの日本は、あまりにも優しくなること、諸外国に配慮すること、対立を避けることに徹底しすぎた。
普通の民族は何事にもほどほどで止まるのだが、日本人は「平和優先」と決めたら徹底的なまでに平和優先になっていき、あまりにそれが行き過ぎた。
そして、良かれと思って徹底した「平和至上主義」で、今や日本の主権そのものが脅かされるところにまで到達した。
そういった状況はいよいよ終わりにして、日本人全員が意識を変えなければならない日が来ている。
日本人は誰かに批判されたり、罵られたりする状況に慣れておらず、そういった対立を非常に恐れているが、今求められているのは、まさに「対立できること」なのである。
対立できるというのは、相手を激しく批判するのも辞さず、徹底的に主張を押し通すことを恐れないということだ。批判やバッシングをエスカレートさせて、修復不可能な敵対関係となることも受け入れるのだ。
きれい事を捨てて現実主義になるというのは、そのような状況になっても一歩も引かないということだ。
今後も、歴史をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人もどこかで転換する。
こうしたことに気付き、敢えて言論の誹謗中傷や攻撃や批判の中に飛び込んでいき、そこで戦う日本人がいよいよ登場してきている。
もう、友好やら配慮やら自虐やらは時代遅れだ。あなたは対立する度胸を持ち合わせているだろうか?
それにしても、アパグループは素晴らしい。今後は積極的にアパホテルを使っていこうと思う。中国人が来ないのであれば、なおさら静かに落ち着けることになるだろう。
 



別所彦次郎

2017年2月21日 (火)

「無興味無関心」の知恵

あらゆる物事に対応する
最善の手の一つは
「無興味無関心」の振りです。
どんな物事も
「無興味無関心」の人たちにとっては
どうでも良いものです。
「そんなの知らない!」
「そんなの見聞きしたくない!」
「うるさい!」
「で?」
「だからどうしたの?」
って言われたら
暴力、暴言、戦争、犯罪以外に
彼らに主張を通すことは出来ません。
あの悪名高き電通も
自社の広告を
多くの消費者に
見聞きしてもらわなければ、
彼らの言動、努力は無に帰ります。
教育者も
児童、生徒、学生に
授業を聞いてもらわなければ
彼らの言動、努力は無に帰ります。
私のこの記事も
読者に見てもらわないと無意味です。
優しさは損です。
好きの反対は無興味無関心です。



千田祐介

2017年2月18日 (土)

いつも愚痴ばかり=全て他人のせいにしているという真理

以下、(リンク)より紹介させて頂きます。
うまくいかない現実に直面した時、知らず知らずのうちに「口を開けば愚痴」状態に陥ってはいないか?
実現に真っ直ぐに、勿体無い行いは今すぐ改めていきたいものです。
* * *
いつも愚痴ばかり言う人は、付き合うと非常に疲れますし、体調もおかしくなってきますよね。
実は、愚痴ばかり言う人は、ネガティブな考え方ばかりしており、また、全ての物事が自分に原因があるとは考えず、全てを人のせいにする人です。
この社会での日常生活では、いつも良いことばかりではありません。
悪いことも当然起きて来ます。
でも、
「良いことも悪いことも、自分自身が創り出したものである」
これが真理です。
この世界には、鏡の法則が流れておりますので、いつも心の中で想い、イメージすることが実現します。
また、自分が他者に対しておこなったことだけが、必ず後で、自分自身に返ってきます。
したがいまして、自分に起きる出来事や自分の周囲の環境は、全て自分自身の責任であり、自分で創り出したものです。
この真理を知っていれば、他人のせいにすることなど、決してできません。
したがいまして、他人のせいにして、愚痴ばかり言う人は、この真理を知らないし、理解していない人ということができるのです。
また、自分のせいだと理解できない人は、何か悪いことが起きると、全て他人のせいにします。
そして、相手に対して直接に文句を言えない状況であれば、その悶々とした不満を誰かに愚痴として、ぶちまけるのです。
確かに、心の中に溜まった悶々とした不満のエネルギーは、誰かに話すことで、言葉のエネルギーに変換されて発散することができます。
ですが、愚痴を聞かされる方は、たまったものではありません。
なぜなら、マイナスの言葉には毒があり、その毒を浴びせ続けられると、気持ちも暗くなるし、体調も悪くなるし、運勢も落ちてしまうからです。
したがいまして、愚痴ばかり言ってくる人には、
「愚痴など聞きたくない!」
「元はと言えば、アンタのせいでしょ!」
「愚痴を言って、何か解決するの?」
「いい加減に愚痴ばかり言うのは止めて!もう、うんざり!」
「愚痴ばかり聞かせるなら絶交よ!」
などと、言ってやりましょう。
愚痴ばかり言っている人には、その愚痴が、自分だけじゃなく、周囲の人にも迷惑をかけているということを知らしめる必要があります。
(引用おわり)



匿名希望

«既成概念・思想からの解放が生きる意味を与えてくれる

ランキング

  • にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ お勧めサイトランキングへ
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

カウンター

最近のトラックバック

無料ブログはココログ